個人的な感想です。

マンガ・アニメの感想を書いていきます。『進撃の巨人』『ぼくらのへんたい』『ランドリオール』など。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

こちらを見てね!

いつも読んでいただきありがとうございます。

最近、こちらのサイトをなかなか更新できなくなりました。

同じ内容をアメブロの 「個人的な感想です」 の方に掲載していますので、ぜひそちらをご覧ください。こちらは比較的更新しています。
スポンサーサイト

「ララランド」感想続き(2)。志と愛の映画。

Ost: La La Land
Original Soundtrack
Interscope Records
2016-12-16


「ラ・ラ・ランド」感想続き。

この映画、書きたいことがたくさんあるのとどういう角度で書けばいいかがいろいろあって、短い時間の中でそれを全部書くのは難しいだろうということもあって、どうも思い通りに書けないのだが、でもブログってそういうもんだと思いながら書いた方がいいという気もして、とにかく書いてみようと思う。

これ、さっきの感想にも書いたんだけど、映画好きのための映画、という側面が結構あると思う。ロサンゼルス名所案内みたいなところからとにかく愛のシーンでは踊る、というインド映画的な感じもあるし、まあミュージカルってそういうものだと言えばそうだけど、そこらへんのところが「Funny Face」を思い出さされて仕方なかった。

Funny Faceはヘプバーンが本当にシンデレラガールで、本人の努力とかが描かれてないところが50年代的なんだけど、その分コメディ感が強かった。今はもう同じものは作れないけど、ミアの努力が描かれてるところが現代ではあるし、やっぱりそこにリアリティがある。でもキスシーン以上の濡れ場は無いとか、最近のハリウッド映画の方向性に逆らってるところもあるわけで、そういうところがわりとすっきりしていてよかったと思う。

ハリウッド映画、やはり興行成績を稼がなくてはいけないし、その分大衆に迎合する的な側面はあるわけだから、そういうものはあまり見たい気がしなくてあまり見てなかったのだけど、昔見た映画で言えば「ナイン・ハーフ」とか侮れない映画もあって、でも今回の作品は思いっきり映画や音楽や演劇に対するオマージュで、そういうものもちゃんとハリウッドで撮ることが出来るんだと言うことが凄く斬新な感じがして、久しぶりにハリウッド映画の力を感じたし、またこういう映画を見てみたいなという期待も感じた。という点で、自分の中では結構大事な印象を持つことが出来た。

夢を追いかけてでも現実とも戦わなくてはいけなくて、つまりこの映画はハリウッドの映画人たちの自画像みたいな映画なので、そんなものをおろそかに撮ることは考えられないよな、とは思う。やはり主演のエマ・ストーンの存在感が全ての場面をつなぎあわせていたこともまた確かだなと思うけど。でもまあ、そういう自画像みたいな映画だから、トランプ政権成立と言う状況下において、そういう映画に「アカデミー賞」を授けることは出来ない、というような力学もまた働いた気がする。ああいうドタバタになった裏には、そういう授与側の葛藤みたいなものがあったんじゃないかと想像してしまうんだよね。

ハリウッドはララランドであって、でもララランドはハリウッドだけじゃない。諫山創さんも「自分のようなララランドの住人は」と書いてたけど、映画にしろ音楽にしろ演劇にしろあるいはマンガにしろ、そういうものを作り出す志を持って格闘し続けている人は、皆ララランドの住人だし、もっと大きな視点から言えば、理想に向かって現実と戦っている人たちはみんなララランドの住人だと言えるかもしれない。

そういうララランドの住人にとっては、この映画は心を揺さぶられないではいられないところがある。

お互いの夢を尊重しあい、お互いを尊敬しあってそれぞれの道を打開して行こうとする二人が、お互いがなかなか志を得られないことに焦り、自分の志を曲げてしまったり、あるいは無意識かもしれないが相手の志を曲げようとしてしまったりする。それは決してお互いを尊重しないからではなく、愛を守ろうとするからなのだけど、でもそこで確実に二人の間にずれが、あるいは溝が、そして亀裂が生まれ、二人は追い込まれて行く。

それはとても普遍的なことで、だからある意味誰にも通じることで、志を持ち、それを実現することの困難さを知っている人には、共感せざるを得ない作品だと思うし、逆にそうでない人に取っては何がテーマになっているのかもピンと来ない、そういう作品かもしれないと思った。

あの夢と現実の狭間で耐えられなくなって破局して行く、あの辺りを本当に人ごとじゃないと思う人はたくさんいるんじゃないかな。この映画では結局二人の仲は壊れたけど、お互いの夢は叶えた、というところがまた泣かせる。いや、泣くしかない。

印象に残る場面はたくさんあげられる、と言うか一つひとつの場面がこんなに印象に残っている映画も最近内気がするけど、一つあげるとすると、セブが「本格的なジャズの店を開く」という夢よりも「まずは売れる」ということを目指して友人とバンドを始め、それが大受けして売れっ子になるのだけど、そのライブに行ったミアが音楽を聴いて戸惑いを感じ、その音楽がセブのやりたいものでないことを知っているミアの顔がどんどん曇って行く、曲が進むに連れてどんどん周りは盛り上がって行くのにミアの顔がどんどんシリアスになって行く、あの場面は本当に見ていて背中に冷たいものが走った。

この映画は本当に純粋に「志」の映画で、そういうものがハリウッドで作れるんだということに感動。そう、「志と愛は両立し難し」、という普遍的なテーマ。

ミュージカル映画の定番シネマスコープで描く、志ゆえの愛の破局の物語。ダンスや歌の場面のはさみ方も、かなり新しさを感じた。

ラストに延々と「もし二人の愛が成就していたらという「起こらなかった未来」が延々と描写されているところは本当に泣けて来る。ミアにとっての最大のチャンスが、決定的に二人を遠ざけ、別の道を歩ませることになる。

本当のラストは、二つの映画を思い出させた。「第三の男」と「君の名は。」「第三の男」で最も印象的なシーンは、ラストシーンでアリダ・バリがジョゼフ・コットンに一瞥も与えずに去って行く場面だが、この映画ではラストで二人はお互いに視線をかわし、微笑んで別れる。この場面で救われもするし、また切なさも募るわけだけど、これは合えないまま終わってもおかしくなかった「君の名は。」の瀧と三葉がラストで現実に出会い、ここから愛が始まりそうな場面で終わることと重なった。

「ラ・ラ・ランド」も「君の名は。」も2016年の作品。すれ違いよりも、出会えることの方がリアルに感じられる時代、なのかもしれないと思った。

志と愛の映画。そんなふうに私は感じた。「La La Land」、良かったなあ!

「ララランド La La Land」を見た。とてもよかった。(1)

Ost: La La Land
Original Soundtrack
Interscope Records
2016-12-09


 「ラ・ラ・ランド La La Land」(デミアン・チャゼル監督、主演ライアン・ゴスリング/エマ・ストーン)をみた。とてもよい映画だった。

 私は基本的に、ハリウッド映画は見ていない。別に主義があるわけではないのだが、そう面白いと思うものがなくて、最近で見たのは特殊効果的な興味で「ゼロ・グラビティ Gravity」を見たくらいしか思い出せない。ただ、別に排除しているわけではなくて、特に昔のオードリー・ヘプバーンの「パリの恋人 Funny Face」などはとても好きだ。

以前はヨーロッパ映画はよく見ていたが、最近はそれもあまり見なくなり、映画は全然見ない時期が続いて、ここ数年になってスタジオ・ジブリの映画を片端から見たり、「魔法少女まどか☆マギカ」の劇場版を見たりしてから、少しずつ映画に復帰して来た感じだ。主にアニメ系が中心だったが。

その中で、昨年は「シン・ゴジラ」にはじまり、「君の名は。」「この世界の片隅に」と3本も見たのでかなり突出していたのだが、その中で映画にも新しい風が吹いて来た思いがあって、あまり面白くないように見える一般の(つまりアニメでない)映画も、私が見て面白いと思える映画が作られつつあるのではないかという気がして来ていた。

そんな中で、今年のアカデミー賞のあの騒ぎがあった。初め、作品賞を「ラ・ラ・ランド」と発表したのに実は間違いで、「ムーンライト」であったというあの騒ぎだ。しばらくして日本で公開されると、かなりの賛否両論。ツイートや映画評の断片を見ていると、なんだか興味深い感想の違いが出て来ていて、これは見てもいいかなと思っていた。「進撃の巨人」の作者の諫山創さんがブログで書いていた感想も興味を引かれたし、最終的にはツイートで二人で見に行ってご本人が凄く衝撃を受けて落ち着かないくらいなのに、隣で見た人が唖然としてこんなにつまらない映画は久しぶりだと言った、というのを見て、これは見るしかないと思った。

いい映画は絶対賛否が分かれる。人はいい映画でなければ批判したり非難したりしない。当然の話だが、つまらない映画を批判しても誰も振り向いてくれない。だから、批判している人も一定いる、という映画の方が面白いことが多い。そして、だいたいそういう映画は私の琴線に触れることが多いのだけど、今回もそれはピタリと当たった。名作だった。

正直、細かいところはもっとよく出来るのに、と思った場面はあった。しかし、あとでではあるが監督のデミアン・チャゼルがまだ32歳だということを知って、その未完成さ、ちょっとした隙や甘さはむしろ可能性の大きさの指標なのかもしれないと思った。そして何よりも圧倒的なメッセージ性。映画・音楽・演劇、そういう広義の舞台芸術に対する圧倒的なオマージュに満ちた作品で、本当に私を揺さぶるものがあった。

この作品はおそらくシンプルに見ても面白い人は面白いと思うのだけど、批判する人がどちらかというと「バカっぽい映画」みたいな感じでいうのに反して、ものすごくハイコンテクストな作品であり、逆に言えば批判する人が実はあんまり映画を見ていないんじゃないかという気にさせられる。

上に書いたように、私はもともとあまりハリウッド映画は見ないので、この映画を堪能し損ねてる部分が凄くあるだろうというところが残念だ。とくに作中引用されているジェームズ・ディーン主演の「理由なき反抗」は見ておけばよかったと思った。しかしそんな私でもみながらとても意識した作品がある。多分、ある程度映画を見たことのある人なら、誰でも一つはそういう作品を思いつくのではないか。

私が意識したのは、一つは「蒲田行進曲」。映画についての映画だから、まあ当たり前かもしれない。もうひとつは薬師丸ひろ子主演の「Wの悲劇」。これも女優についての映画だから、わかりやすいかもしれない。でも一番意識したのは上にも書いたオードリー・ヘプバーンの「パリの恋人 Funny Face」だ。

まず、主演のエマ・ストーンがタイプとしてオードリーに似ている。普通の意味での凄い美人女優ではなく(作中でも「私より美人の子がいっぱいオーディションに来てる!」と言ってて、なんだか苦笑いした)、でも異様に強い目力を持っている。ハリウッド映画とは女優の目力を見る映画ではないか、と思うくらいで、ミアのあの目、視線に全てが現れるあの演技は出色だった。

それから、細かいことになるが、ロサンゼルスの観光映画的な部分もあって、でもまあそれはさておき、ハリウッドの中の撮影風景やセットの風景が映されてるあたりはフェリーニのチネチッタものを思い起こさせて、それだけで楽しくなる、うきうきするところがあった。単純だけどミアの出身がコロラドのボルダーであるという設定も、個人的にボルダーに思い出がある私はとても懐かしく感じた。

細かいストーリー、自分の深い部分の感想に関してはまた改めて書こうと思う。なんだか一気に書けない。

とにかく「ラ・ラ・ランド」、よかったです。

おがきちかさんの「ランドリオール」・「プチリオール 砂の人々」を読みました。

 
 

 
コミックゼロサム3月号でおがきちかさんの「Landreaall」(ランドリオール)・「プチリオール 砂の人々」を読みました!



今月のランドリは7ページ。単行本作業によるのでしょうね。2月25日発売の29巻限定版はランドリ初のアニメ化、オリジナルアニメDVDがついています。そのトレイラーもこちらの方で見ることが出来ます。
 


 


今回のプチリオールは29巻のラストに収録になるのでしょうか。大きく二つの場面になっています。



前半はクエンティンとユージェニが、海岸に到達しています。ユージェニは髪に「七粒の涙をこぼす羽根」の髪飾りをしています。これは母・リルアーナ王女の忘れ形見なのですが、もともとはクエンティンの祖母が持っていたものをクエンティンがユージェニの母リルアーナに贈り、戦争の後、奴隷に売られていたクエンティンを取り戻すために曲鳴の手に渡っていたものを、クエンティンが取り返したもの。それ以外はもう王女らしいものは身につけていません。そしてその腕に抱かれているクエンティンはやせ衰え、老いさらばえた体。海のかなたの低い雲から漏れいずる日の光の柱を背景に。美しいなあと囁くユージェニ。海岸で、クエンティンの魂に封じられていたさまよい女たちが魂を解放されて海に還って行く。幻想的な美しい風景の中で、クエンティンは「不思議だ 左目の方がよく見えるよ」と言います。



圧倒的な美しさ。女王となりその玉階としてアトルニアの権力を握る野望が崩れた二人の、平安。安堵したような表情のユージェニの左目に涙。クエンティンが長らえられるのかどうか、見たところはわかりません。



いま手元にランドリ世界の地図がないのではっきりはわかりませんが、海はマリオンの住むハイ=ネフィ王国にしかなかったはず。ここでマリオンが出て来るのではないかと私は思っていたのですが、さてどうなることか。この風景に大ゴマ見開きで4ページです。



もうひとつの風景は、黒虹。DXに贈られた沙竜のおかげで里として成り立った元奴隷商人の基地・黒虹は、奴隷商カリファを長老として里として活気のある様を見せています。多くの流民が流れ込んで、新たに部族が形成されているのですね。



それで今日はDXを守護天使と讃える像がお目見えするということで除幕式が行われますが、あけてみると大笑いの像。レイカーベアの巨大さが笑えます。



というわけで今月は単行本のテールピース的な感じでした。



2月25日発売の29巻に続いて28日に発売になるゼロサム4月号では、ランドリが表紙になる!そうです。



こちらも楽しみに待ちたいと思います。

コミックゼロサム2月号でおがきちかさんの「Landreaall ランドリオール」第164話「空から鈴の音」を読みました。





コミックゼロサム2月号でおがきちかさんの「Landreaall ランドリオール」第164話「空から鈴の音」を読みました。

更新が月一回だけに近くなって来ていますが、なんとかランドリの感想だけは書こうと思っています。今読み続けている作品では、一番長く読んでいます。連載期間だけでいえば「OnePiece」や「キングダム」も長大巨編ですが、私が読み始めてからはまだ数年なので、ランドリとの付き合いが一番長いなあと思います。私が読み始めたのは11巻、リドの故郷のウルファネア編のあたりからでした。

年末になって忙しいのですが、マンガの感想を書くというのも一つの気分転換になりますし、ランドリは何度か読み解かないと上手くストーリーが呑み込めないところもありますので、謎解き的な楽しみもある、という感じです。

今回の扉絵はフィルとティティ。変顔?というほどではないですが、キュートな二人です。(笑)

クレッサールでの出来事はそれぞれに色々な影響を与えたわけですが、まずは六甲とイオンの話から。DXとリドの部屋で畳の上で話をしているDXとイオン、リドと五十四さんですが、最近六甲の姿を見ない、という話になります。実はいるのですが、落ち込み状態で「ボンヤリしている」のですね。というのは、イオンがDXとディアとともにクエンティン(とユージェニ)と戦っていたとき、ディアのマインド攻撃でクエンティンが逆襲しようとしたのにイオンが棒でクエンティンを攻撃しようとしたのですが、このままではイオンがクエンティンを殺してしまうと思ったDXが六甲に命じて、短刀(小狐丸?)を投げてイオンの腕に突き刺して止めた、ということがあったわけです。(27巻152話)

いかに危急の事態とはいえイオンを傷付けてしまったことを六甲はとても責任を感じていて、ほとんどを姿を消さんばかりになっていたんですね。ここでリドと五十四さんの前で改めてもう傷は残ってないとか言い仕事をしたとか言ってもらって少しましになったようです。

「六甲はまた人らしくなりましたね」と五十四さんにいわれた六甲ですが、DXは美人に言い寄られた(灰撒の兄妹の妹、砂の戦士ティレクですね)という話をし、クレッサールはその辺オープンだよな、という話になります。

このあたり、六甲はきっと凄く気にしているだろうなと思ってはいたのですがそう言うエピソードがなく、アトルニアの王城に戻って来て、「任務」が一通り終わったと思ってから、そう言う感じになったようです。一つひとつエピソードをきれいに掃除して行く感じですが、ここはある意味今回のサブタイトルにもなっている「鈴の緒を結んでおけ」という言葉の前振りだった、という感じです。

バハルたちと別れてクレッサールから帰るとき、DXはバハルにいわれた「鈴の緒を結んでおけ」という言葉の意味を尋ねた。そのことを思い出していると、フィルとティティが登場。また、リドと五十四さんはウルファネアの大使と同行する用事が出来て、その場を退場し、フィルたちと入れ替わることになります。

前回163話でDX、イオン、ライナス、ルーディー、フィルは大老とディアに塔に呼ばれ、大老のそばで働くことになったロビンとともに、大老からロビンの両親についての話を聞きました。もとはといえばライナスの作戦でロビンを大老に会わせようとしていたのがベネディクト卿たちによって阻まれ、ライナスとルーディーはクレッサールに飛ばされたものの、フィルの男気と機転でついにロビンを大老に会わせることが出来た、というのが27巻150話から28巻153話にかけて、クレッサール編の展開とともに語られたことでした。そのときの大老はほとんど正常に状況を認識出来ない状態だったのですが、ロビンのことだけはわかり、そのことによってクエンティンの呪いをとくことが出来た。フィルは、その状態のことをDXたちに話しに来たわけです。

「クラウスター(ディア)がいないときの大老にあったことあるか?」と問うフィルに、DXはクエンティンとユージェニと一緒にあったことがある、と言います。これは21巻113話のことですね。この時にはよくわかりませんでしたが、今読み返してみると大老はクエンティンが礼を述べたり戴冠式の話をしたりしているのに全く反応していないのですね。これは気がつきませんでした。DXも今それに気がついたようです。ディアが現れてから大老は話し始めた。「クラウスターの天恵ってすごいな。あの大老をまともにしちまうんだから」というフィルに、「そこまでしてでも誰よりも王様にふさわしい人ってことなんだね。本来以上に能力を上げるわけじゃないんだろう?」とティティ。ここで一同がディアと大老との関係についてその重大性を認識した、という感じです。

それに対し、「ディアは大老といつも一緒にいるために王妃になるんだね」というイオン。大老・ファラオン卿を国王として必要とする国のため、大老のため、そのために王妃になるディア。その運命を受け入れているディアですが、イオンはそれに割り切れないものを感じているのですね。まあそれはDXがディアのことを好きだと言うことを知っているからなのですが。

ここから大老とディアの関係、そして塔に1人だけ自由に出入り出来るレイ・サークとの関係について、フィルが突っ込み始めます。みんなDXがディアに失恋したということは知ってますから、火矢の塔に出入りしているレイ・サークとディアは「付き合っている」とDX、イオン、フィルは思っている。ティティだけはそんな単純なことだとは思ってないようですが、DXとイオンは基本的に考え方がシンプルだし、フィルは貴族階級的には世間が狭いし、ライナスと二人でレイとディアがデート?しているところを目撃しています(17巻90話)から、そう思っている。

クラウスターはチューターと付き合うために、人質となってて逃げられないんじゃないか、と言うフィルにティティはまさか、と言いますが、超高位貴族(なにしろ真祖=ロイヤルクラシックの一族)であるディアはレイと付き合える身分じゃない。だから、二人の仲を許す代わりにファラオン卿が王を務められるように天恵を使わされているのでは、とフィルはいうわけです。

それに対しDXは、ディアは立場を強要されているとは思えない、と言います。まあそんなタイプでないことはDXはよく知ってますし、また決意、というかある種思い詰めている言葉も聞いていますから。「大老に恩があると言ってた」というDX。20巻109話での会話ですね。

さらに突っ込むフィルは、「普通に考えたら逃げられないのは相談役(レイ)の方か」と言います。つまりディアがレイにそばにいることを強要しているのでは、ということになるわけですね。「付き合ってるんだよね?(ディアが一方的に求めてるんではなくて)」というイオンに「それって確かなのかな」と長い目でいうティティ。ティティはその前提自体が間違ってると思っているようです。しかし気づかないフィルは「だろ?王と王妃だぞ逆らえるわけねー」と自分に同意したものと見なします。「相談役を手元に置いとくくらいは安いもんじゃねーの、クラウスターがそれで喜んで王妃やるなら」となんだかどんどん下世話な方向に持って行くフィルですが、ティティは慌てて否定しようとするものの、DXはディアの109話での言葉を思い出し、「ディアは好きな人にそんなことを望む人じゃない」と言います。「結婚するのにそばにいてほしい何て言えない」とか「想像もしなかった、誰かを特別と思うとか」という言葉、DXはレイのことを言っているのかと思っていたようです。

フィルは結局、ディアがファラオン卿を天恵で支える代わり、というかご褒美としてレイと一緒にいられるようにしている、という仮説にこだわっているわけですが、イオンは「そんなあ」というし、ティティは「そんなわけないんだよ〜!」というのですが、思い詰めてしまったDXは窓から抜け出して階上のレイの部屋を訪問するのでした。

この展開、言葉のやり取りから読み取るのはちょっと難しいのですが、最終的なDXの行動がウケます。そこにやって来たライナスとルーディ—は、前回でのディアの反応を見てますから、もうちょっと妥当な見解を持っているのではないかと思います。

レイを訪問したDXですが、レイはディアと付き合っているという前提で、そんなパワーポリティクスみたいな付き合い方で納得してるのかとレイに尋ねます。レイはDXに、「もしかして僕が脅されてるかなにかであの二人にこき使われてるんじゃないかって心配してくれてるのかい?」となんだかムフフ顔。「騎士道って病いは根が深いね!」と嬉しそうなレイにうつむくDXです。

ここからレイはディアとの関係を語り始めます。「僕とディアは10年近く一緒にファラオン卿に天恵の制御を教わってるんだよ。僕はディアを怖がってもいい数少ない人間。天恵の相性のせいでね。」と。

天恵の制御。このあたりのことは今本が手元にないので確認出来ませんが、スピンドル事件の後ディアがレイを見舞った時の会話でヒント的に語られていました。でも私は制御というより天恵を伸ばす訓練をしているのかと思ってましたが。(そんなニュアンスだったと思います)

「僕らの天恵は普通の人を壊したりは出来ない」というレイ。

!!

普通の人じゃない人なら壊したり出来るんでしょうか。確かにディアがクエンティンを追いつめたときはかなりそれに近い感じになってましたが。またレイもそんな力があるとは。ファラオン卿も同系統の力なのでしょうか。このへん、それぞれの天恵の詳細はよくわからないところがまだありますね。

「だけどあの子はずっと昔から周りの人間に天恵を誤解されて怯えられるのに傷ついて来た」

・・・・・・

なるほど。ディアが恐れているのは、自分の天恵を恐れられることだったんですね。

「君はディアが怖くないんだろう?でもディアがそれを信じるのは難しい。ディアは大老の下でやっと平穏を手に入れたんだ。王様以上の守り手がいるかい?」というレイ。

ディアの本質は、人に恐れられる、異形としての天恵の持ち主で、そのことにディアは傷ついて来た、いつか本当に人を壊してしまうかもしれない、という恐れを強く持っていることは、クエンティンを倒した時にうわごとのように口走った内容にも現れていました。大老はディアを守ってくれた、ということは、その天恵を制御出来ることを教えてくれた、ということも含まれているのでしょう。

このことに関するディアの思いは28巻157話で語られていました。「私は天恵を怒りにまかせて人を傷付けるために使おうとした。私の天恵は隠しておかないともしも制御出来なくなったら取り返しがつかない。跳ね返った呪いと私の天恵がクエンティンの中でぶつかりあって消えたのを感じたわ。彼が正気でいるのは運が良かっただけ」呪いがあまりに強かったから、強力なディアの天恵とでもちょうど相殺されるくらいだったと言うことなのでしょう。「一瞬、本気で人を壊そうとした」

そのディアの暗く闇に落ち込んで行くような思いを、DXが再び輝かしい光の元へ、「クエンティンと戦って勝って救った」と、勝利と救済の物語へと描き直したわけです。

レイは、「ディアが、DXはディアが怖くないということを信じるのは難しい」と言いますが、大老は前話で「メイアンディアには一人でも多くの味方が必要だ。立場ではなく天恵が彼女を孤独にする。DX・ルッカフォート。待っているよ。」といいました。この「待っているよ」という言葉の意味があまりに謎めいていて解釈に困るのですが、少なくとも大老は期待しているし、おそらくはディアもそう言う思いは持っているのだろうと思います。

ディアの天恵をめぐるトラブルがこんなに根が深いとはちょっと思いませんでしたが、「うら若い女性が殺傷能力の高い能力を持っているということを悩んでいる」というのは、最近の魔法少女系とか最終兵器彼女的な強さとは真逆の設定なので、逆に私などには想像しにくかった気がします。でもまあ、優秀な女性が敬遠されがちだとか、そういうことのある意味での延長線上に、ディアの悩みもあるんだと思えば、理解出来ないことはありませんが。

まあDXならそんなの軽々と乗り越える感じがしますけどね!

まあそれをディアがどう思うかはまた別の問題ですが。

話はずれましたが、レイのその言葉に、DXは「レイ先輩はそれでいいんですか?」と尋ねます。これは、「王様がディアの守り手になる=好きな人が自分以外の人の妻になる」ことをレイは受け入れるのか、ということでしょうね。

ここでのレイがなんだかカッコイイと言うか、本当の意味でDXを諭すイケメンというか、になってるわけですが、「君は何故そんなことを僕に聞くんだい」と言います。「ディアが(好きな人だから)」と言いかけたDXに、レイは「僕がどう言ったってそれを自分の気持ちだと思い込むことは出来ないぞ。僕が何を考えようと君には関係ない。」と。ディアが好きな(とDXが思い込んでる)レイがそのことについてどう思っているかがわかれば自分がそのことをどう考えればいいかもわかるのではないか、とDXは思ったみたいですね。

でもレイにそういわれて、DXは「そうですよね」と言ってまた窓から消える。でも部屋には戻らず、屋上に行ったみたいです。

いやあ、ここ、レイがイケメン過ぎてどうしようかと思います。まあ大人なだけかもしれませんが。

DXも、自分がディアがファラオン卿の妃になることについて割り切れない思いを持っているのをレイの感想を聞くことによって折り合いをつけようとしていたことに気がついて、「俺何やってんだろ」と思います。久々に恋に悩む少年になってます。

屋上にひっくり返って色々なことを反芻するDXですが、ある重大なことに気づきます。レイは今、「僕らは10年以上ファラオン卿に・・」と言いました。でも109話でディアは、「決心が固まった今になって「出会うなんて」」と言ってたことに。

「出会う」?

「・・・誰の話だ?」

笑・笑・笑。

ここでバハルの言葉の意味が語られます。「鈴の緒を結んでおけというのは、脈がありそうならその子から気を逸らすなってことさ!」と。

「脈がありそうなら」。

柱で編集さんが「鈍感!」と叫んでます。(笑)

・・・いやあ、DX、ここまでニブいとは思っていませんでした。(笑)

まあよかったよかった?です。(笑)

しかしまあ、相思相愛ということになったら、余計話が面倒、という面もありますけどね。(笑)

ライナスとルーディーを出したのはそこでそう言う結論を出そうということかもしれませんが、さて次回はどういう展開になるのか。

楽しみでなりません。(笑)

しかしまあ、DXは、騎士の鏡である父・ルッカフォート将軍が、オソロシイ傭兵の母・ファレルにべた惚れで、何かと言うとすぐ吊るされて育って来たわけですから、ディアの天恵くらい、そのバリエーションみたいに思うだけかもしれないなあと思いました。

ここでもDXの両親が、彼らの力になるような気がしてきました。

まあ当面、DXはディアの騎士であることしか出来ないだろうなあとは思いますけどね。

はてさて、今後の展開がさらに楽しみになってきました。

Menu

プロフィール

kous377

Author:kous377
FC2ブログへようこそ!

最新記事

検索フォーム

ブロとも申請フォーム

QRコード

QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。