個人的な感想です。

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こうの史代さんの『夕凪の街 桜の国』を読みました。記憶を伝える力を持った、詩情あふれる言葉と絵がありました。

夕凪の街 桜の国 (アクションコミックス)夕凪の街 桜の国 (アクションコミックス)
(2004/10/12)
こうの 史代

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こうの史代さんの『夕凪の街 桜の国』を読みました。2006年のことです。

このマンガは、広島の原爆をテーマに描いた作品ということで、広く知られていると思います。私は「そういうマンガ」だと思って、しばらく敬遠していました。

でも、読もうと思ったのは、小林よしのりさんが自分の雑誌でこうのさんに交渉し、(自分の考えと違う)左翼漫画でもいいから書いてくれ、と懇願して寄稿してもらった、という話を読んだからです。あの小林よしのりさんにそこまで求められる作家というのはいったいどんな方なのか。

その時点で私が知っている作品はそれしかなかったので、『夕凪の街 桜の国』を買って読んでみたのです。

読んでみると、それは私の創造したものとは全然違う世界が展開していました。

『夕凪の街』の主人公、皆実は原爆で被爆しています。舞台は昭和30年広島。家を焼け出された人たちが住む河畔のバラックに、皆実も住んでいます。彼女は事務員として働いていますが、ことあるごとに「あの日」の記憶がフラッシュバックのように訪れます。

読んでいて、「生きる」ということに抵抗を持つ皆実を哀しく感じます。同僚の打越に愛を打ち明けられても八月六日のことを思い出してしまいます。

「そっちではない/お前の住む世界はそっちではないと誰かが言っている/八月六日/何人見殺しにしたかわからない/塀の下の級友に今助けを呼んでくると言ってそれきり戻れなかった」「羽根を焼かれためじろが地べたを跳ねていた」「死体を平気でまたいで歩くようになっていた」「川にぎっしりと浮いた死体に霞姉ちゃんと瓦礫を投げつけた/なんどもなんども投げつけた」「あれから十年/幸せだと思うたび/美しいと思うたび/愛しかった都市のすべてを人のすべてを思い出し/すべて失った日に引きずり戻される/お前の住む世界はここではないと誰かの声がする」

この詩情をもって原爆被災を語れる作家が、今までいただろうかと思います。リアルでは耐えられない、抽象では響かない。この詩情だけが、原爆という人類の悲惨を語りえるのだと思います。

これをセンチメンタルな美化だという意見もあるかもしれませんが、やはりこの詩情がなければ長く語り伝えられるものにはならないと思います。戦争体験の風化が言われるけれども、この詩情への昇華を、人はいままで怠ってきたのではないかと思います。

記憶を伝えること、は本当にはできないのだと思います。伝えていくにつれ、本当の記憶は失われ、変形し、異常に増殖したり、まったく失われたりしてしまう。

もしできるとしたら、それは「詩情」によってではないか。生々しい表現では、かえって伝わらないのだと思います。こうのさんの詩情は、原爆被災の恐怖と悲しみとやるせなさと非人間性を過不足泣く伝えているといっていいのだと思います。

逆に言えば、これ以上は人間には無理なのだと思います。

『桜の国』は現代の話、皆実の姪にあたる七波が、ひょんなことから広島を訪れます。「平野家の墓」と刻まれた墓石に、昭和二十年八月六日とそれに近い年月の間に亡くなった人の名前が並んでいるのを見ると、それで十分に何があったか、生々しく感じる場面。静かに衝撃的です。

七波の父、皆実の弟の旭は、疎開していて被曝を免れますが、母と同居していた赤ちゃんの時に被爆体験のある娘と結婚します。母はその結婚に反対しますが、結局二人は結婚し、そして生まれた娘が七波なのです。

「生まれる前/そうあの時わたしはふたりを見ていた/そして確かにこのふたりを選んで生まれてこようと決めたのだ」

これが、作者のこうのが出した答えなのでしょう。それもまたある種のセンチメンタリズムだという批判はあるかもしれませんが、それ以上の表現がこうした事柄に十分な共感を呼び起こせるかどうか、と考えればそれはここまでではないか、と思います。

戦後世代が過去の戦争を語る困難さに、この作品は新たな可能性を示したように思います。そして「詩の言葉が持つ新たな可能性」を、私は感じることが出来ました。たとえばこれは『朗読者』におけるホロコーストを語る言葉とも通じるものがあるような気がします。何があったのか、を心から心に伝えるためには、そうした表現が不可欠なのだと思います。

ただ、このように感じるのは、私がそれなりに、原爆についてあらかじめ知識があるということはあるだろうなと思います。『はだしのゲン』を読んだこともなく原爆資料館にいったこともなく被爆者の話を聞いたこともなく、教科書の文字を追ったことしかない人にとってこれだけの表現では、やはり不足なのかもしれません。私たちの子供のころには、原爆の悲惨さを訴える表現は、今に比べれば相当たくさん、どこにでもあったような気がします。しかし、そういう人にとっても「知ろうとするきっかけ」にはなるのではないかと思います。マンガの力、言葉の力を改めて感じました。

上の文章は、2006年に初めて読んだときに感じた衝撃を書いたものですが、いま作品を読み直していて、改めて涙が出て来ました。

素晴らしい作品だと思います。まだ読んでない方は、ご一読をお勧めします。

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