個人的な感想です。

マンガ・アニメの感想を書いていきます。『進撃の巨人』『ぼくらのへんたい』『ランドリオール』など。

阿部洋一さんの『バニラスパイダー』3巻を読みました。(1):手触りがあって体温を感じられる、身の丈に合った正義。

バニラスパイダー(3) <完> (少年マガジンコミックス)バニラスパイダー(3) <完> (少年マガジンコミックス)
(2010/12/09)
阿部 洋一

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阿部洋一さんの『バニラスパイダー』3巻を読みました。(1):手触りがあって体温を感じられる、身の丈に合った正義。

1巻から延々、感想を書いていますので、よろしかったらそちらもご覧ください。

ツツジと紫苑は、この町とナクアを分離し、ナクアを逮捕するためにママちゃりの籠に(50年前に脱皮した)ナクアの抜け殻を乗せてツツジの学校に向かいます。

途中、破壊されたコンビニでコーラを飲んでいると(律義にお金を払っています)、同じような蛇口の戦士に出会います。

真面目に読んでると、何言ってるんだかよく分かりませんね。そういう設定の日常性と非日常性の融合具合が、この作者さんの凄いところだと思います。

この蛇口の戦士は「バタフライ」というグループを作っていて、ツツジたちはそのグループに連れて行かれ、リーダーに引き合わされ、仲間に入るよう勧誘されます。彼らは自分たちの正義に酔っていて、「こっちを見ているけど見ていない目」をしていることにツツジは気が付きます。

この、「こっちを見ているけど見ていない目」という批評眼は、怖いぐらいに鋭いと思います。自分たちの正義に酔っている人たちは、その正義しか見えていない。それに賛成しない人間はまともな人間と認めない。

私たちは、たとえば「脱原発派」も「原発活用派」も結局は「こっちを見ているけど見ていない目」をしているということにどこかで気がついているでしょう。そういうものを嫌というほど私たちは見せられているけれども、この作品は震災の前年に描かれたものなんですね。『進撃の巨人』が震災後の状況のメタファーになっているということは2011年当時よく言われましたが、この『バニラスパイダー』の方がより的確な批判になっていると思います。

「ぼくは目が届く手が届く、手触りがあって体温があって、そういうところでしか守りたいというイメージが湧かないんです。それがぼくにとっての「町」。ぼくは「ぼくの町」を守るために戦います。それが今のぼくにできる「身の丈に合った正義」だと思うから…」

この力強いツツジのことば。地に足がついています。しかしそれは逆に言えば、「手触りがあって体温がある」親しいものの間で差をつけなければならなくなったときに、ひどく苦しむこともまた意味しているわけですね。

ツツジが彼らのもとを去った後、結局彼らは気絶していただけの変異エレベターにやられてしまうのですが、少なくとも気絶させるくらいのことはできることを知り、ツツジは彼らの使っていた蛇口を集めて行くのです。

そしてそれは思わぬ正解でした。本来の蛇口は1本で母体であるナクアを切り裂くほどの力を持っているのですが、50年前にツツジの祖父がその力に酔って変異エレベターを切り捨てているうちに、肝心のナクアを倒せず脱皮させてしまった過去があったために、津田はそれを153本に分けて、1本当たりの威力を少なくしていたのです。

ツツジと紫苑はせっせと蛇口を拾い集め、39本になったときに束ねたら、目を離したすきにそれは繭を作り、1本のものすごい威力の蛇口になったのでした。

それを使って、その力に酔ってしまうことを祖父も津田も恐れますが、自分の「身の丈にあった」戦い方をする、と決めているツツジを、花織は信頼するのでした。

このあたり、ツツジが暴走するのではないかと心配する祖父と津田と、「やりたいこともやれることも小規模だから」という津田の言葉にいかにもと笑う祖母と花織の対比が面白いですし、花織のツツジへの信頼もいいなと思います。

ドライブ感で、ワクワクしてきます!

その(2)に続きます!



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