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『へうげもの』201話を読みました!改めてサイケデリックなイリュージョン性を感じました!


へうげもの(17) (モーニングKC)へうげもの(17) (モーニングKC)
(2013/09/20)
山田 芳裕

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Dモーニングで山田芳裕さんの『へうげもの』第201話を読みました!改めてサイケデリックなイリュージョン性を感じました!

『へうげもの』は戦国時代から江戸時代初期まで生きた数寄武将・古田織部が主人公です。

織田信長、豊臣秀吉に仕え、今では徳川家康に仕えています。千利休を師と仰いで数寄を磨き、現在は息子に大名の座を譲って引退し、織部助の称号で茶頭として徳川態勢の中での豊臣家の生き残りを図っています。

それを豊徳合体と称し、家康と豊臣秀頼の母・淀君との婚姻が最終的な目的です。家康は秀頼を従わせるか、ないしは暗殺するとの可能性も秀吉恩顧の大名たちは感じていたのですが、200話では秀頼は家康の招きに応じ、二条城に家康を訪問します。

前回大ウケだったのは、この秀頼がやたらと巨大な体躯を持っていたこと。3メートルくらいありそうで、(笑)家康も幕閣も圧倒していたのです。

今回は、まず豊臣と徳川の固めの儀式のような場面から。杯を交わし、贈り物をおくり合い、まずは馳走の場面。家康が「量は少なめ」と言いながら出された膳は山盛りで、それを見ていた加藤清正(顔は具志堅用高)は毒が入っていることを疑い「食べている暇はない」と言いますが、秀頼はそれにかまわず「残したら悪いぞ」と言いながらお膳ごとつかみあげて一度に口の中に放り込み、椀を飲み干して「ご無礼」と言ったかと思うと、「おかわり」。

これには幕閣も大笑いし、秀頼は小姓として控えていた織部の子・重行に「うけたぞ。織部助に上手く言ったと伝えてくれ」と言います。同席していた高台院(秀吉の北政所・ねね)は家康に「豊臣と仲良うしてくれて少しは胸のつかえがおりた」と言います。家康は高台院のことが好きだったので、何となくしみじみした顔をします。

次の座に移るとそれは大名たちとの饗応(酒盛り?)の場で、大名たちはさかんに秀頼を誉め称えます。そして家康は、「秀頼は高い見識を禁中で発揮すべきで、公家となり関白の座につくがふさわしい」と言います。

大阪に帰る舟の中で重行は織部に報告し、織部は上機嫌です。「近衛様の大喰い戦法が功を奏したの!」と言っています。そしてめでたく秀頼と家康の友好親善が成り立ったことを祝して伊賀花入れを披露します。

一方鷹狩りに出かけた家康は、本多正純と秀頼の関白任官について話し合いますが、家康の狙いは宮中の官も幕府が推すものを任官した実例を作らせ任命権を奪い取ることだと言います。しかし家康の心中の不安は、幕閣をも笑わせた秀頼の器量の大きさで、自らの子・将軍秀忠らと比較してのことでした。

このストーリーもやはりウソ歴史なのですが、『天智と天武』と違うのは、うわさ話的な根拠もない物語がなんというか作者の妄想の中から生まれてきているという感じであることですね。『天智と天武』は「こうだったら面白いな」というストーリーだという気がしますが、『へうげもの』にはこうに違いない、いやこうなんだ、というくらいの妄想的なパワーを感じます。

もともと織部という人の『数寄』も、ゆがみとか普通の人には何もないところに自らの理想の美・おもしろさを見いださんとするある種の妄想力とかかわりがあるわけで、やはりそこにはイリュージョン的な何かがあるのだと思いますが、この作品にもそうしたある種サイケデリックなイリュージョン性があって、スタイルと内容が一致しているところが特にいいんだろうなと思うわけです。

近衛もこのストーリーもこの歴史解釈も美術品解釈も、そうしたイリュージョン的なものに貫かれている。それが今後どのように開いて行くのか閉じて行くのか、見て行きたいと思います。
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