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宮崎夏次系さんの『僕は問題ありません』を読みました!


僕は問題ありません (モーニングKC)僕は問題ありません (モーニングKC)
(2013/08/23)
宮崎 夏次系

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宮崎夏次系さんの『僕は問題ありません』を読みました!

今、いろいろなところで話題になっている新しい作家さんたちがいます。宮崎夏次系さんもその一人です。何となく気になりながら、読んだことはなかったのですが、昨日書店で『僕は問題ありません』を見かけ、読んでみようかなと思って買ってみました。

この作品集は短編8話とおまけマンガ、最後の「肉飯屋であなたと握手」は前後編なので実質7話プラスおまけマンガ、ということになります。

宮崎夏次系さんの作品は竹熊健太郎さんの『電脳マヴォ』にも収められています(「TOARU,GAKUSEI,TO,GYMNOPE'DIES’」)ので読んでいただくと少し雰囲気が分かると思いますが、多分少し好みの別れる作家さんかなと思います。

なんというか、詩情あふれる絵柄ですね。絵にポエジーがあるというのは、どういう絵にポエジーを感じるかということでもありますが、一見ヘタウマなようでいて実は凄く緻密な画面構成になっています。でもそれが書き込まれているという充実感を感じるのではなく、何となく投げやりと言うか、必要だから空間を埋めましたという感じなのですね。

そう言う言い方をすると悪口のように聞こえるかもしれませんが、そうではないんです。そう言う作風と言えばいいのでしょうか、その空間の埋め方の独特な投げやり感にも、ポエジーがあるんです。

人物は、はっきり言ってシュールです。現実に存在するのかしないのかの境目。いや、境目に見せてますけど、まあ絶対いませんよね、ツインテールメガネの男子高校生とか。こういうシュールをあざとい感じに見せないのが、なんというか、その背後に漂っているペーソスというのか、この世を諦めてしまったときに始まるポエジーのようなものが流れているんですね。

なんというかこのあきらめ感と言うか無力感と言うかが、すごく現代的なんだと思います。こういう風に書いてみると、ようやく今の若い人たちが世界をどんなふうにとらえているのか、見えて来る感じがします。多分、現代でなければ出て来ない作家さんなんだと思います。

もちろん昔から若者というものは世界に絶望しがちなもので、世界を諦めて、その自分の意識の中の底辺でうごめいている、そこに自分自身の真実をみつけようとする、というのはある意味若者の特権だと思いますし、80年代にもそう言うマンガはあったなと思います。

でもこのあきらめの深さとか、ある意味での明るさとか、その辺りが何ともいえず新しい、今なんだな、という感じがするんですね。

どの短編もシュールな世界が展開しているのですが、独自の世界観、生活感を持っている、この世に普通に生きているとはあまりいえない人たちがいて、(能でいえば異世界の住人であるシテのような人たち)そこに現れた侵入者のような、より現実に近いところにいる、でもやはり明らかに現実の世界からは外れている、能でいえばワキの諸国行脚の(つまり流浪の)僧のような人との間で交流が生じ、異世界の人との間で生じた一瞬の幻想のような幸福が束の間花開く永遠性、みたいなものを感じさせます。

つまり、リアルに感じられる、あるいは今の若い人たちに本当に信じられる幸福というのは、そう言うものなんじゃないかな、という気がするんですね。

最初にヘタウマと書きましたが、とんでもない、画風的にはすごく達者なんだなということが読んでるうちに理解できてくるのですが、なんというか、ヘタウマに自分を擬している、ということなのかもしれません。

ああ、そうですね。作風的にいえば市川春子さんがどうしても思い浮かんでいたのですが、どちらかと言うとストーリーや言葉遣いなどは小路啓之さんに近いですね。でも小路さんほどひねくれ方面に徹底していない。なんというか日常的な緊張感のままカタストロフに至る所は共通するものがあるのですが、小路さんの世界は日常のテンションがもともと高い。意地悪な女の子の魅力、みたいなものとでもいえばいいのでしょうか、悪意が明白なのです(そこが大阪的とでもいえばいいのか)が、宮崎さんの場合は、悪意も描かれてはいるけれどもなんかそう言うものの存在自体が希薄ですし、なんというかすべてが淡い感じがします。

でも本当はすごく書き込まれているし、工夫もされているし、言葉も本当にポエジーがあるし、すごいんですよ。でもそのすべてを、その細い線の力で、でしょうか、淡いものにしているところがすごい。

第1話「線路と家」の扉の絵、草むらが9割を占めていて手前側から奥に向かってくさの描写がどんどん細かくなっていくことで表現される遠近感の向こうに、本の小さく描かれる線路の陸橋の支柱と電信柱と電線と外部階段のついた家。ページをめくると3段の、横長の画面構成の駅のホーム。学校を辞めた女子高生の大学さんと同じクラスのポニーテールメガネの男子高校生轟くん。バランスの悪い家の上から矢を射かけてくるおじいさんはヨーロッパ中世の猫耳のついたマスクと横縞の上着にカイゼル髭というメルヘンの登場人物のようで、ここから正方形に近い画面が増えてきます。

画面の白い部分と黒い部分の配置も絶妙。「おじいちゃんのいう通り、学校は寂しいところだったよ。家と外は違うのね」という大学さんにおじいちゃんは、「昔から言っておろう。お前は外界との接触を一切断ちここで一生を終える。外の世界は汚く低俗ですべてが間違っている。ここにいれば安心だ」と独特の世界観を語ります。

一方の轟くんは電車の中で、嫌がらせの同級生からの電話と心配するお母さんからの電話の留守電を消去し、運転手に「お客さん終点だけどまた折り返す?」と聞かれています。世界を拒むか、世界から拒まれるかの違いはあっても、この世界に居場所がないことは同じ。そんなあきらめに満ちたでも不思議に明るい感じが絵の白い部分に反映されている気がします。

轟くんは再び大学さんの家に近づきますが、おじいちゃんの釣り糸に引っ掛けられて捕まえられそうになりますが、鞄だけ取られて逃げてしまいます。そしてその鞄の中に入っていた小説でしょうか、大学さんはそれを読みます。

隠れながら鞄を取りにきたのでしょうか、轟くんが声をかけると、大学さんがその小説をもっているのをみて、「面白い」と聞くと、大学さんはうなずいたように見えました。轟くんは「続きあるから!絶対もってくるから!」と言って帰ります。轟くんは再び本をもってきて、マジックハンドで大学さんに届けます。「明日ももってくるから!」

そんなある日、おじいちゃんが死んで言われた通りボタンを押すと大学さんの家は急に巨大な塔に変形し、大学さんは囚われのお姫さまのようになります。

「とおこよく聞け。おじいちゃんが居なくなったらお前は一人だ。……とおこ。ずっと一人で居ろ。一人で居ることを忘れるくらいずっと一人で居ろ。二度と寂しい思いをしなくて済むよ。」とおじいちゃんは書き残しています。

「何でそんな事言うの」と机に突っ伏す大学さん。カーテンのはためく風の中、大学さんが外をみると、電車の線路(というかこれはモノレールなんですね。モノレールの線路です。)を駆け上がって来る轟くん。ここの縦長がメインになる構図が素敵です。届かないままに大学さんの窓に本を差し出そうとする轟くん。「本がないと退屈だろ?僕もだ」

その言葉を聞いた大学さんは窓から飛び出し、飛んできた白い鳥の階段を踏んで轟くんに駆け寄ります。そして涙ぐんで、轟くんの胸に飛び込むのでした。

「出られるよ。どこからだって」

そんな言葉で、この作品は終わります。

この作品の空気感、細かくみていくとそのメルヘン的な物語の組み立てとか、すごく素敵だなと思います。でも、「何だこれ、わかんねー」と思う人もやはりいるだろうなと思います。

一つ一つの絵に、説明的な部分がない構成は、高野文子さんの作品を思い出すところがあります。

轟くんは大学さんに本を届けることによって、「どこからか」出ることが出来、大学さんは本を受け取ることによって「おじいさんの塔」から出られることが出来た。

「出られるよ。どこからだって」

強いて言えばこれがメッセージなのですけど、人によってはそんなメルヘン的なことが起こらない限り「出る」ことは無理なんだ、ととらえられかねないところもまた、読む人の心の状態を反映してどんなふうにも読めそうな作品だなあと思います。

まあそんなことを書きながら、まだまだ私も宮崎さんの世界を消化できてはいないのですが、こういう才能が現れて注目されていく時代なんだなあと、そう言うことを感じたのでした。
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