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みなもと太郎さんの『風雲児たち 幕末編』第24巻を読みました!


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(2014/07/28)
みなもと太郎

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みなもと太郎さんの『風雲児たち 幕末編』第24巻を読みました!

25日の金曜日から昨日28日の月曜日にかけて、私の読んでいる雑誌や単行本がいくつも発行され、またBDが届くというタイミングになり、感想も書ききれないという状態なのですが、けさはそのなかのひとつ、昨日発行になったみなもと太郎さんの『風雲児たち 幕末編』第24巻を取り上げたいと思います。

『風雲児たち』はもともと幕末ものを書くということで1979年に始まったシリーズなのですが、幕末を書くためには、最終的に幕府を倒した長州や薩摩の倒幕への思いの起源を書くという話になってしまい、関ヶ原から語り起こしたために正編30巻でようやく(30巻は薩摩の宝暦治水と言う筆舌に尽くし難い困難の話を書いた番外編なのですが)坂本龍馬が江戸に上るところ(1853年、ペリー来航直前)まで行き、その後ブランクがあって「コミック乱」で2002年から『幕末編』というかたちで連載が再開され、それも24巻でようやく文久元年(1861年・桜田門外の変の翌年)まで来ているというところです。

この作品はそういう実に長大な作品になっていて、巻末のインタビューでみなもとさん自身が、「正編は大河マンガだったが幕末編に入ったら大海マンガになった」と言われていますが、膨大な登場人物たちのそれぞれの各事件をめぐる動きをそれぞれ追っていくという手法をとっているので、一つの事件を様々な側面から様々な立場から追っていっていて、特に幕末のような事件の多い時代には例えば咸臨丸の航海なども何巻もかけて(同時並行して日本で起こった様々な事件を追いかけているからでもありますが)書いているということになります。

作者インタビューでなるほどと思ったことはいくつもあるのですが、まず一つは「ストーリーを組み立てるときに留意していること」は、「事件が起きたことに対して周囲がどう反応するかに重きを置いている」ということです。例えば桜田門外の変などはすごく甚大な影響を残した事件だったわけですが、すぐに幕府が倒れたわけではない。動いたのは水戸浪士と薩摩藩士だったわけですが、薩摩の動きを要請するために薩摩まではるばる訪れた関鉄之助が薩摩領内にも入れてもらえず門前払いされ、それは大久保一蔵(利通)の深謀遠慮によるものだったわけですが、そうした一筋縄では行かない動きをいちいち精密に追いかけているわけですね。

しかし様々な面で幕府は確実に追いつめられていくわけで、その中で舵取りをしていた老中の安藤信正の苦衷や彼の不用意な叱責により有能な外国奉行であった堀利煕を自害させてしまう過程など、その死の真相をめぐる作者の判断と様々な説が描かれたりしていて、幕末に生きた人々に自然に関心が行くようになっています。

「そもそも歴史マンガを描いているつもりはない」というみなもとさんの言葉にも驚きましたが、「魅力的な人間が登場する、面白いマンガを描きたいがために歴史をテーマにしてるだけであって、描きたいのは人間模様なわけです」というふうにいわれると、すごく納得できるところが多いわけです。

だから、誰かが死ぬと、すごく名残惜しい感じがする。江川太郎左衛門などは生前八面六臂の活躍をした人で、歴史の表面上は韮山代官と言う地味な存在なのですが、すごく多くの人と関わっていてキャラも立っていて、彼が退場したときにはすごく感慨がありましたし、やはり多くの読者に惜しまれたそうです。そんなふうにひとりひとりについて詳しく書いているから、もともと登場人物が多い幕末史は大海マンガにならざるを得ないわけなのですね。

キャラクターの作画で気をつけているのは、表情なのだそうです。表情によってストーリーが動いていく。だから表情は生きていると思う、とみなもとさんはいいますが、本当にそうだなと思います。そして、例えばその登場人物の足下が崩れたときにその人はどういう表情をするか、ということがパーソナリティーの表現につながっていく、というのは面白いなと思いました。

そしてみなもとさんは、「一番突っ込まなければいけないのは坂本龍馬だ」と言います。同時代に生きた龍馬の知り合いは、あのへらへらと明るい龍馬の人間性がイヤなんだと。そして「龍馬は、じつは本当にやりたかったことはほとんど何もやれず、死んでいると思う」という指摘はけっこうぐさっと来るなと思います。「本当にやりたかったこと」は実は維新後土佐に起こった「自由民権運動」につながっていくんだと。その辺りの視点も斬新だなあと思いました。

インタビューの感想になってしまいましたが、本編を振り返ると、24巻は1860年3月3日に起こった桜田門外の変によって大老井伊直弼が暗殺された後、1861年初頭のロシア軍艦ポサドーニク号の対馬不法上陸事件に当時外国奉行になった小栗忠順が対処する話までです。幕府の最高責任者は一貫して安藤信正です。

第1章では先に書いたように水戸藩士関鉄之助が薩摩まで盟約を果たし薩摩が決起することを促しにきて門前払いされた事件、8月15日に蟄居中の水戸前藩主徳川斉昭が亡くなったこと、そして抑えのきかなくなった水戸浪士が薩摩藩邸に押し掛けても幕府は対応を薩摩に一任すると言うことしか出来なかったことが書かれ、第2章では遣米使節の正使を乗せたナイアガラ号が日本に帰国したものの出航前とは打って変わった冷淡な対応になったこと、また日本と世界との金銀交換比率の差から大量の金が日本から流出し、それをとどめるために金の価格を銀に対し3倍に引き上げたために物価が急上昇し、それに対する不満が幕府への不満につながっていったことが書かれています。このあたり、幕末史では学ぶことですが、それをハリスの目を通して語ることによって、これを主導したハリスの慚愧の念のようなものがあったということを含めて幕末のリアルな様子が描かれているように思います。

第3章では横浜でのシーボルトの娘・イネと宇和島でシーボルトの弟子・二宮敬作の塾で出会った長州の村田蔵六(大村益次郎)との再会が描かれ、第4章では幕末動乱の起源の一つとなった朝廷から水戸藩に下された「戊午の密勅」の返納騒動の決着および大老井伊直弼による「安政の大獄」での処分者たちの処分解除と和宮降嫁の決定、そして先に書いた外国奉行堀利煕の自害について、第5章ではアメリカ公使タウンゼント・ハリスの通訳だったオランダ出身のヒュースケンが清河八郎にそそのかされた(と作者は解釈している)攘夷派によって暗殺された事件について、第6章ではヒュースケン事件後の外国公使たちの激昂と幕府のそれへの対処、それからジョン万次郎の活躍による小笠原諸島住民への日本帰属への承認、第7章で文久元年のポサドーニク号事件について書かれています。

こうやって列挙してみると歴史に詳しい人ならともかくあまり幕末史になじみのない人には聞いたことがない事件が多いと思うのですが、ひとりひとりの登場人物のキャラが立っているためにどういう事件だったのかという雰囲気も良くわかるし、やはり何より今の日本が日本になった過程がよく感じられるというところにこの作品の魅力があるんだなあと改めて思います。

活躍する人物もイネと蔵六と言った知っている人しか知らないような組み合わせや、最近注目されるようになった小栗忠順、地味にいろいろ活躍しているジョン万次郎や、何より奮闘報われない安藤忠正がすごく印象に残るようになっています。幕府老中という役職はやはり、まあ滅んでいく幕府の最高責任者ですから貧乏くじ的な感じはすごくするわけで、ペリー来航時の老中阿部正弘にも私はかなり同情しましたが、安藤はさらに大変だっただろうなと思います。

まあこういう風に歴史事項を書いて説明すると七めんどくさいマンガにどうしても思えてしまうわけですけれども、少し幕末史に関心のある人ならば、逆にそういう七めんどくさい事項をどう面白く書いているのかを楽しんでもらえると思いますし、実際私の知っている高校の歴史の先生でも、この作品のファンの人はたくさんいるのですね。

ですから、特にこの時代に関心のある人、またこの作品は昭和の名残のある正統的なギャグ漫画という側面もあり、そういうものに関心がある人にも、とても楽しんでいただける作品だと思います。

私もいつも、この事件をこの作品ではどういう風に書くのだろうという関心で読んでいるのですが、それだけでなく知らなかった人物や事件もかなり取り上げられていて、そういう意味でも本当に楽しみな作品なのです。次巻もまた楽しみにしています。
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