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宮崎夏次系さんの『変身のニュース』を読みました!繊細な天災、のような作品でした!


変身のニュース変身のニュース
(2014/02/14)
宮崎夏次系

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宮崎夏次系さんの『変身のニュース』を読みました!

主に「モーニングtwo」で連載されている宮崎夏次系さんの作品は、私の把握している限り単行本は三冊出ているのですが、この『変身のニュース』が2012年11月に出た最初の作品集です。その後2013年8月に『僕は問題ありません』が、2014年に5月に『夢から覚めたあの子とはきっと上手く喋れない』が出ています。

私は最初に『僕は問題ありません』を読み、次に『夢から覚めたあの子とは』を読みましたが、それぞれとても強烈な印象を受けました。

この『変身のニュース』もとても強い印象を受けます。絵がうまい(特にその崩し方)、シュールな展開、何かに一生懸命な人たち、溢れ出る感情、幻想は現実より強かったり、現実が幻想より強かったりする。あるいは、そう思い込もうとしている。読みながら、そんなことを思います。

収録されているのは全9話、それぞれ20〜30ページの作品で、それぞれ明確に、あるいは何となく変身=メタモルフォーゼがテーマになっているように思います。最初の作品の赤星君は好きな女の子に「君に嫌われるのは辛いけど自分も欲望がある」と告白すると女の子が「嫌いになんてならないよ」と答え、するとなぜか赤星君の「金玉」が巨大にふくらんで風船になって二人はどこまでも飛んで行く、というお話?ですし、第4話の「ダンくんの心配」は、何もできない彼女を心配して死んだダンくんが彼女の誕生日に自分の腕を模して作った発泡スチロールの右腕を送りつけて来て、以来毎年左腕、右足、左足、胴体と送ってきて6年目に頭が来るかと思ったら花束で、「ダンくん本当にいなくなってしまったんだ」と一緒に窓から身を投げるのですが、発泡スチロールのダンくんが彼女を守ってくれて彼女は助かり、発泡スチロールはバラバラになる。そこになぜかゴミ処理の車が来ていて、彼女は「あのうこれ燃えるゴミで」と尋ねる、というお話?です。

まあこれだけ読んでもわけが分かんないよね、と思うと思うのですが、これを読んで私は、宮崎さんは「世界は、あるいは世の中は、そのルールは、理解不能」だということと、だけど私は世の中をこう理解した!みたいな「自信のない宣言」をしている、という感じがしました。(まあ作品という物はすべてそう言う物かもしれませんが)

「変身」というのはどういうことなのでしょう。人はみな、自然に変化して行きますし、世界もまた少しずつ知らないうちに、またある時ははっきりとその様相を変化させます。それは有無を言わさない、ある種の「天災」のような物ですよね。その変化、その「天災のような物の存在」という物を皮膚感覚で感じている、というのが今に生きる、特に若い人たちの感覚なのではないかなという気がしました。たとえば『進撃の巨人』の巨人や『シドニアの騎士』の奇居子(ガウナ)のわけの分からなさ。わけが分からない故の恐怖のような物、それが「天災のような物を感知する皮膚感覚」で、この『変身のニュース』では、身近な人たちが、あるいは自分自身が訳の分からない何かになって行く感覚として描かれているように感じます。

私などは新人類と言われた世代ですが、わたしたちの世代は例えば「世界は今は豊かで平和だけどいずれ核戦争が起こって人類は滅亡の淵に追いやられる」という感覚が通底していました。ノストラダムスの予言や、あるいは「風の谷のナウシカ」に描かれた核戦争後の遠い未来への予感・共感・郷愁のような物が80年代の時代の皮膚感覚であったように思います。現代はそれがもっと身近に迫り来る恐怖とか不安のような物に変化しているのではないかと感じます。

宮崎夏次系さんの絵はとても繊細で凄く上手い。形が形であることをきれいに描いているのにその形が形であることを自然に放棄して行っていつの間にか世界が荒野になっていたり、あるいはリアルな絵であったはずがいつの間にかいわゆるヘタウマと感じさせる絵になったり極端に進行すると絵というよりむしろ図案化してしまったりするのです。

ある物が壊れてしまったらどうなるか、ということについての想像力が凄いし、壊れてしまうのは本当にそんなに不幸なことだろうか、実は幸福なのではないだろうか、と一回りしてしまっているのではないかと思われることも往々にしてあります。その不思議な幸福感が一つには宮崎さんの作品の魅力なのではないかな、と思います。

簡単に言えば、上手すぎる、繊細すぎる、のですね。

不条理なのにパッションに満ちたストーリー、自分の才能の深さ、どこまで行ってしまうのか分からない恐怖に自分で戦慄している、と感じることもよくあります。

宮崎さんの作品の登場人物は何かを信じている、何かに沿って行きようとしている。自分が天才だ、ということに「沿って」生きようとしている赤星くんや、「ダンくんの心配」に「沿って」生きようとしている彼女。あるいは8話の「飛んだ車」では、湖にネッシーが出る、と言い張る男の妻が入院したら別人になって(妻は病院の手違いで死んでいて看護婦が整形して妻に化けていた)いて、それに気がついてるのが男だけで、男は偽の妻とともに湖に車で飛び込むのですが、偽の妻は逃げてしまい、男の車は現れたネッシーの頭部に乗っかって男は助かる。そして仲睦まじいつがいのネッシーをみて男は妻との思い出に耽る、その男。往々にして彼らはとても情熱的で、作者はそれに共感、または仕方ないよね、それしかないよね、と肯定しているように見えながらいらだちも持っています。

共感、いらだち、対幻想、そういったものがある種の天災の力によって破壊したり壊滅したり昇華されたりしながら繊細な幻を見せる。そんな作品だと思うのです。

宮崎さんの作品を読むことで、今という時代をもっと理解、と言うか感じることができた、そんな気がするのでした。
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