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杉本亜未さんの『ファンタジウム』第1話〜第47話を読みました!自分自身にとってとても大切な作品になりました!


ファンタジウム(8)ファンタジウム(8)
(2014/09/19)
杉本亜未

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杉本亜未さんの『ファンタジウム』第1話〜第47話を読みました!

昨日書いた『ファンタジウム』ですが、第47話を読んだあとでフリーの第1話を読み、すっかり気に入ってしまってKindleで第1巻を買ったら、そのまま最新第8巻まで読み切ってしまい、さらにはDモーニングでバックナンバーを読んで、既発表の47話すべてを読みました。

これは凄い作品であると思います。

というか、自分にとっては凄い、とか楽しい、とか、素敵な、とか、そういう客観的な評価ができない、自分に取ってものすごい引力で引かれてしまう作品でした。

主人公の長見良は、天才的な腕を持った手品師の少年。でも彼は、難読症(ディスレクシア)という困難な障害を持っていて、物語の始まった時点では学校にも行っていませんし(学年としては中学2〜3年の話になっています)学校に行くようになってからもキツい差別やいじめを受けています。

父親は腕の良い職人ですが、図面も読めない良につい暴力を振るってしまう。母親は良をかばいますが、本当には理解してくれるわけでもない。物語は、そこに現れた一人の青年・北条との出会いから良の人生が展開して行く有様を描いているわけですが、それは良に取っても北条にとってもファンタジアに満ちたものになります。

北条の祖父は実は手品師で、偶然ながら良は晩年彼に弟子のようにして多くのことを教わっていたのでした。北条は大学時代応援団で、その猪突猛進的な前向きの善人さで、良を引き取り、良に手品師としての道を歩けるようにして行きます。

私が引かれたのは、良の魂の根本的な孤独、というものに対してです。

父親も、母親も、北条も、良い人ではあるのだけど、良の抱えている問題の根深さのようなものを理解するには人間がシンプルすぎる。良い人に囲まれて、いや中には悪い人もいるにしても、自分の魂の孤独を自覚し続けながら生きることの孤独、のようなものは大変なことだと思います。

そんな自分でも持て余している自分のようなものを、人は理解しようとしてくれるわけですが、当然のことながら自分のもっている文脈の範囲内でしか理解はできないわけですね。

そのときに、つい、相手の思い描いている自分像みたいなものに、合わせてしまうところが私などにはあって、そういうことについて常に反省しているのですが、また逆に自分を正直に言おうとして相手を傷つけてしまうことも多々あり、そこでも反省してしまう、という常に「どっちに行っても出口なし」みたいなことになりがちなわけです。

この作品を読んでて一番思ったのは、「オレは、オレだから」ということでした。「オレは、人が理解出来なくても、自分で説明出来なくても、オレだから」ということです。

人間の持っている言葉なんか限界がありますから、逆に言えばそこを言葉にしようとがんばっているうちに大切なものを逆に逃してしまうこともある。そのときに、「オレは、説明出来なくてもオレだから」と考えられることが大事なんだなと思いました。

そういえるからこそ、人の言葉も聞くことができる。私などは常にいろいろな屈託があって人の言葉も素直に聞けずに変な方に曲げて解釈してしまうことも多々あるのですけれども、自分が自分であることを譲らなければ、そこさえ引かなければ、逆に多くの言葉を聞いたり受け入れたりすることもできるんだ、ということを思ったのでした。

まあそんなふうに、実に個人的な読み方をしてしまったので何とも言えませんが、この作品は自分に取って本当に大切な作品になっていると思います。

もう一人思い入れをしてしまったのが言語聴覚士の神村というキャラクター。出てきてすぐ付き合っていた女性を振ったり、学長をしている母親の権力を利用したり、自分の頭の良さをひけらかしたり(実はあまり自覚なく)、それでも如才のなさで担当している子供たちには人気のある人物なのですが、良はそういうところを見抜いて最初はあまりなつきません。

しかし、良の言葉を聞いて思うところがあり、また最初の場面で振った女性がストーカー的になってきたのに動揺して誤って高い階から転落したのをその女性に助けられて以後ラブラブになり、自分が気づいてないことがあったことに気づいて、無償で良に指導をしたりするようになって良も彼になついて行く、と言うか「善人」とはできない真剣な話をしたりするようになります。

神村に頼まれたホスピタルクラウンの仕事をするためにプロダクションの仕掛けた大きな番組をすっぽかしたことで非難されている良に、「何かあっったら僕が出て行って釈明してもいい!絶対に謝罪会見なんかするな!僕は生まれてこのかた親にも教師にも本気で謝ったことは一度もない!ましてや世間に何か謝ることは何一つないんだ!」と言ったりして、良は「ホントーに面白いなこのおっさんは」と思っています。そして「長見くんは間違っていない!自分の内側から語りかけて来るものを信じればいいんだ!」という神村の言葉を聞いて、いい笑顔になる良の顔が凄く好きです。

同僚の春川先生に「よほど今までのこと反省したのね」と言われ、「僕が何か反省するんですか?」と問い返し、「知能指数が高かったせいか昔から周囲の人間がバカに見えて…人の心も簡単に操れるから今後医療従事者としてそこそこ成功するなと思ってたんですが(中略)今回の事故で自分自身すら理解していなかったことに不意に気づくことができてこれはまだ人生面白いなと思ったんですよ」とぬけぬけというところがおかしいですし、この話をしたら良に「先生は面白い」と言われ、「先生は遊び人のボンボンだが根っからのワルじゃあないってことくらい分かりますよ」と言われたと春川に言って笑われて、何が面白がられているのか分からない、というところも面白いです。

まあ私なんか、分かってもいないのに世間を知ってる訳ありの顔をし過ぎてきたかな…となんだかおかしくなるところがありました。

何というか、メンタルな面で少し「ずれている」人たちを描き出すのが、杉本さんはとても上手いと思います。

あとがきを読むとマンガに対して自信がない、ということばかり毎回書かれていますが、それは多分、自分が面白いと思ったことと世間の評価、編集者の評価がかなり食い違ってしまうということではないでしょうか。

そんなの、本当は食い違ったっていいと思うんですよね。現状に対して売るためなら確かに編集者の言葉を取り入れた方がいいとは思いますが、杉本さんの作品には現状を破壊し、変えて行くためのテーゼが存在すると思います。それは確かに、「売れる作品」とは違うかもしれない。

でも、表現というものの本来の意味は、そういう商業的な意味だけではなかったはずですよね。世の中を変えて行く、きっかけを作ったり流れを作ったりする、そういう力を持ったものを生み出すことも、表現の大きな役割であるはずです。

主人公・長見良のマジックと同じように、杉本さんの作品にはそういう力があると思います。

今後とも、とても楽しみにしています!
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