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「進撃の巨人」第71話:キース・シャーディスはなぜ、あのような行動をとったのか。

キース・シャーディスはなぜ、あのような行動をとったのか。

以下、「進撃の巨人」71話(別冊少年マガジン8月号所収)の内容について考えたことを書いていますので、まだ未読の方は、先に読んでいただいてからにしていただけるといいかな、と思います。

***

進撃の巨人(1)
諫山創
講談社


「進撃の巨人」71話を読み、またそれについてのまとめサイトなどを読んでいるうちに、キース・シャーディスについて書きたくなりました。

キースはなぜエレンの立体機動訓練用のベルトをわざと壊したのか。

今回は苦い挫折を知った男、キース・シャーディスが主人公だと言ってもいいかもしれません。そして、その回りには幾人も輝く、「特別な人間」がいる。キースはその傍観者に過ぎない。自分が特別だと勘違いしてしまって、人生の方向を誤った人間だと、自分は認識しているわけですね。

キースが意識した最も特別な人間は、壁外で会い、親しく付き合ったグリシャ・イェーガーであるわけですが、密かに想いを寄せていた酒場の女、カルラもまた自分にとって特別な、そして自分の存在を認めてほしい女性であったわけです。

グリシャはシガンシナ区の人々を伝染病から救う。それにより、ハンネスやカルラ、その両親たちからも神のように慕われ、グリシャはカルラと結婚する。キースはそれを認めながらも、面白くない。自分は調査兵団という「人類の誇りそのもの」として活躍しようとするが、成果を上げられない。焦りからキースはカルラに暴言を吐くのですが、そのカルラは優しく諭すように、「私の子=エレンは特別な人間である必要は無い、ここのはもう偉い、だって生まれてきてくれたんだから」と言います。この母性そのもののカルラの発言に、キースは自分の中途半端な粋がりが恥ずかしくなってしまう。一方で部下にはエルヴィンやリヴァイ、ハンジのような天才としか言いようの無い団員が加わってきて、突撃しか能の無いキースは限界を悟り、エルヴィンにその地位を譲ったわけです。

「何の成果も上げられませんでしたッ!」というキースの血の叫びからこの「進撃の巨人」は始まったわけですが、キースは自らが「特別な存在」であり、なおかつキース自身を「特別な存在」だと勘違いさせ、でありながらカルラを奪って行ったグリシャに、やはり何重もの複雑な想いを持っていたわけですね。それはもちろん嫉妬でもあるわけですが、自分を誤った方向に導いたという怒りのようなものもあるわけですね。

ですから、グリシャの想いを受け継いだエレンにも、キースは複雑な想いを持っている。カルラはこの子を「生まれてきただけで偉い」と言っている。特別な存在になる必要は無い、と。

キースがエレンの装置を壊したのは、カルラのいうように平凡な存在として生きろ、というカルラの意志を実現させる、ための行動である、とキース自身は思っていたのかもしれません。しかしそこにはグリシャに対する複雑な思いがあり、エレンをグリシャの思うようにはさせない、と言うある種の復讐の想いもまた込められていたのでしょう。

エレン自身はグリシャの「瞳の奥の牙」を受け継いではいる。しかし、グリシャのようには「特別な人間」ではないだろう。いや、「ないはずだ」とキースは思った。いや、思おうとしたのでしょう。だから敢えてエレンにこっぴどく恥をかかせてまで兵士になることを諦めさせようとした。

「普通の人間」ならそうなる、諦めるはずだったのです。

しかし、エレンは「普通の人間」では無かったのですね。エレンは超人的な意志の力で、なんとか破損した装置で一瞬とはいえバランスを保った。そしてキースは知ったのですね。

エレンがその「超人的な意志を持った」、リヴァイの言葉でいえば「巨人化するとか関係なしに正真正銘のバケモノ」である、「特別な人間」であると言うことを。

そして再び、自分が何をしようと、何も変えることは出来ないと言うことをいやと言う程思い知らされ、キースはエレンに訓練を続けることを許可した。いや、エレンが「特別な人間」であることを「悟らされ」たキースは、いわばエレンに強制的に「許可させられた」と言えるのかもしれません。

ここは本当に面白かったです。

まとめサイトを見ていても、多くの人がキースに対して同情的でした。そしてそれらの人たちの多くが、多かれ少なかれ挫折を経験した人々だったようです。一度は自分に才能があると思い上がっては見たものの、現実に成し遂げること少なく、自分は凡人だと思い知らされた、そういう人たちがキースに同情し、共感し、またハンジの「心ない」攻撃に「やりすぎだ」と感じていたようです。

作者の諫山さんもまた、そういう挫折を強く感じたことがあるのでしょうね。今や押しも押されぬ大人気作家で預金通帳の数字が理解出来ない額になってる、まさに「特別な人間」であるわけですが、まだ20代とはいえ、それまでの道のりは決して平坦ではなかったのでしょうね。

というか、そういう経験があるからこそ「特別な人間」になり得た。逆に言えば、挫折の経験さえ生かしてしまうのが「特別な人間」である証拠だといえるのでしょう。

特に今回は、少年マンガの範疇を大きく超え、30代や40代の特に男性の共感を呼んでいたように思います。

「進撃の巨人」という物語も、前半はエレンの苦悩、ジャンの決意、ミカサの絶望と自覚、アルミンの覚醒、クリスタ(ヒストリア)、サシャ、コニー、それぞれの少年たち、少女たちの成長が一つの物語の核となっていたわけですが、王政編以降は例えば焼きが入った商会のボスのディモ・リーヴスや、中央憲兵のサネス、リヴァイの育ての親の切り裂きケニー、「真の王」ロッド・レイス、そしてこのキース・シャーディスと、大人たちの苦悩や憧れ、挫折、と言ったものが描かれてきています。エルヴィンの夢やザックレーの変態性、板挟みになったピクシスの苦悩など、少年マンガの範疇を軽く超えたものが描かれるようになってきました。

掘り下げても、成長しても、人間から苦悩が消えるわけではない。どんな人間も、最後は死ぬだけです。

しかしその中で人間は、特に男たちはどんなふうに運命に抗い、どんなふうに乗り越え、どんなふうに敗れて行くのか。少年から大人までを通して、そういう人間の姿を描くのが、実はこの「進撃の巨人」と言う物語の、狙いかどうかはわかりませんが、最終的なテーマになって来るのかもしれないな、と思いました。

本当に侮れない物語だと、改めて思ったのでした。
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