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小説の感想です。村上春樹さんのデビュー作、『風の歌を聴け』を読みました!

村上春樹さんのデビュー作、『風の歌を聴け』を読みました!

風の歌を聴け (講談社文庫)
村上春樹
講談社



たまには小説の感想を書いてみたいと思います。よろしければお付き合いください。

この作品は、1979年の群像新人賞を取った作品です。私は村上春樹さんの作品は『ねじまき鳥クロニクル』以降は大体読んでいるのですが、初期の作品はあまり読んでいませんでした。読んでみると、とても面白かったです。数時間でぱっと読んでしまいました。とてもよくできた小説だ、というのが第一印象でした。

今まで村上さんの作品をいくつか読んで来た経験から言うと、この物語は、村上さんの原点だな、と思いました。

原点というのはつまり、主人公のいる場所が村上さん自身のいる場所からそんなに離れていない、という意味です。二作目、三作目と行くに連れて、その原点から一歩一歩離れて行く、自分と主人公の距離を少しずつ遠ざけて行く、つまり主人公のいる場所を少しずつずらして行くことによって、語られ得る物語世界をすこしずつ広げている、という感があるのではないかな、と思いました。

それは進歩でもあるのですが、物語世界が広がって行くということは、村上さんの場合は物語世界の具体性が減少し、抽象度が増し、ファンタジー性が広がって、幻想性が強くなる、ということも意味しているように思いました。『ねじまき鳥クロニクル』などは典型的だったと思います。私はそういうところが好きなのですが、処女作の『風の歌を聴け』を読んで驚いたのは、幻想的でない現実的な、むせ返るような濃厚なリアリティを感じたことです。

関西の瀟洒な小都市(村上さんの出身の芦屋だと思います)から東京の大学に行っていて、夏休みの間実家に戻り、行きつけのバーに通って鼠と言われる友人と話したり、指が9本しかない女性と関係を持ったりし、また東京に戻って冬になって帰って来たらその女性は消えていた。その構造は、村上さん自身の出身と学校歴、芦屋と東京の関係、友人との関係、そして書いた時にジャズバーを経営していたという自分自身の仕事までそこには反映されているわけで、自分からそんなに遠くないところの範囲で書かれている。だからディテールがすごく濃厚で、とても処女作らしい味わいがあります。

作家によってはそのディテールを深め、より濃厚な方向に進む人もいますが、村上さんはそういう方向をとらなかった。少しずつ自分から離れて行くとともに、よりある意味抽象的なリアリティといえばいいのか、そういう方向へ行ったわけです。

ただ、この作品では、そんな複雑なことをしてるわけではなくて、フィクションという意味では、意識的にウソ(フィクション)を導入しているのが興味深かったです。

この物語にはデレク・ハートフィールドというアメリカの作家のプロフィールと作品内容が引用されているわけですが、実はそんな作家は実在しない。これを真に受けた多くの読者がこの作家の本を読もうとして図書館の司書が大いに迷惑した、というエピソードがある位、真に迫ったウソだったわけです。

で、話の中にも効果的に「ウソ」に対するエピソードが含まれている。でもこの実際に出てくる「ウソ」は鼠に関するそれも九本指の女性に関するそれも、読者を惑わそうと言う企みというよりは、必要とされているウソ、身を守るためのウソ、それが悲しい意味なのか身勝手な意味なのかは別として、という感じで描かれている。

ウソというものは、真実を相対化して無力化してしまう力を持っている。だから読者もはっとして、ここに書かれていることは本当のことなんだろうか、と思わず思ってしまう。まあフィクションなんだから本当もウソもないのですが、「それがウソなら本当はなんなんだろう」、と思ってしまう。そして、書かれていない部分に本当を探そうとして、それを見つけたという気持ちになったりもするのだけど、結局袋小路に入ってしまう、みたいな感じになるわけですね。そしてそこに幻想性が生まれる。煙に巻かれた、とも言えるわけですが。

印象に残ったことの一つは、主人公が高校時代に「僕は心に思ったことの半分しか口に出すまい」と決心したというくだり。そしてある日彼は、「心に思ったことの半分しか語ることの出来ない人間になっていることを発見した」。こういうことには、私はすごくリアリティを感じます。でもこれを言葉遊びとしか読めない人も入るのではないかという気がします。だから、村上さんの評価はそういう人にとっては低いんだろうと思います。

村上さんの作品は、こういうリアリティの方向に向かって来ているのだと思いますし、私が「ねじまき鳥」で感動したのはそれだったと思います。

アイテムとして面白かったのは、デレク・ハートフィールドの引用の中にあった火星の地下の深くて長い井戸です。主人公がそこに潜って歩き続け、地上に出て来たら15億年経っていて太陽は既に赤色巨星になっていてあと25万年で爆発する、という状態になっていたのですね。そんな話はまるで浦島太郎みたいですね。諸星大二郎さんの作品(マンガですが)に出て来た神人同士の囲碁を見ているうちに斧の柄が腐った中国の説話なんかも思い出しました。それにしても、「ねじまき鳥クロニクル」で重要なモチーフになった「井戸」が既に処女作で登場していたのには驚きました。

もう一つ印象に残った、と言うかテーマと言ってもいいしまたその回りをうろうろする話だ、と言ってもいいのが「人間は生まれつき不公平に作られている」というケネディの言葉。これは”Life is unfair.”という言葉のようです。

ケネディ大統領の当時、ベトナムではアメリカが応援する南ベトナムとソ連や中国が応援する北ベトナムが戦っていました。ケネディは南ベトナムを応援するために予備役(現役を退いたけれども何かあったら招集される立場の兵士)を招集し、ベトナムに送り込む決定をしたのですが、それに抗議してハンストが行われていたのですね。それについて聞かれたケネディは、「ベトナムで死んだり傷ついたりする人もいれば、一生サンフランシスコからでない人もいる。人生は不公平なものだ」と「哲学的」に答えたのだそうです。

それはちょっとひどい気がしますね。(苦笑)

ケネディという大統領はリベラルなイメージの政治家でしたから、ちょっとそれとはイメージが違うわけで、当時はかなりブーイングもあったようです。

村上さんの文脈では、ケネディに対する幻滅とかある種の侮蔑のようなものもその元にはいかほどか含まれているこの言葉を引用して、人生が不公平な例がいろいろ語られているわけです。とはいえ、人生が不公平であることはある意味誰の目にも明らかなわけですが。

主人公の友人である「鼠」は金持ちの家に生まれたけどその境遇を、金持ち自体を憎んでいる。というのは、鼠の親が金持ちになったのが決して誉められるような事業によってではなかったから、ということがあるわけですが、そんなことは受け入れてそれを乗り越えられるようにがんばるしかないという主人公に、鼠は「本当にそんなことを思っているのか?ウソだと言ってくれないか?」と言います。面白いなと思います。鼠の暗鬱な気分と、そんなふうに割切られてたまるものか、という気持ちが表れている、のではないかと思いました。

また、主人公と付き合うことになる九本指の女性ですが、彼女が指を失った事件や、そうやって生きて来てそのあとひどい目にばかりあって来たこと、指を失わなかった双子の姉妹の存在、その他のことについて、主人公は彼女の人生に対していわば不協和音的な登場の仕方をする。

言葉を変えて言えば、彼は彼女の人生にいわば闖入して来るわけです。そしてだからこそ、主人公に対しておそらくは誰とも話したことがないような内容を話す。そこがこの物語のメインストーリーだと思います。

彼女の不幸の語られ方はちょっとステロタイプな気もする、つまり後年の村上さんだったらもっと巧妙にそういう人間を持ち出すリアリティを構築すると思うのですが、その「事実の重さ」みたいなものに頼っているのではないか、と言う気は少ししました。

そういうところが処女作だと感じさせる部分でもあるし、このキャラクターの設定のしかたを少しずつずらして行って後年の何だか不思議な登場人物たちになって行ったんだろうなと思いました。

トルストイは「アンナ・カレーニナ」冒頭で「幸福な家庭はすべてよく似たものであるが、不幸な家庭は皆それぞれに不幸である」と言ってますが、「不幸な人」というのはそれぞれの理由で不幸なので、ひとりひとり「変わった人」或いは「個性的な人」になりやすい、ということ葉あるかもしれません。

村上さんは”Life is unfair.”という人生のある意味の真実と、登場人物たちがどんなふうに付き合っているか、「救い」のように見えるものとどう対しているのか、について描いていて、読む側ではそれを「人生の理不尽とどんなふうに付き合って行けばいいのか」「何が救いになるのか」と読み替えて読んでいることが多いのではないか。人気があるのは、そういうところを読む人ひとりひとりに考えさせるところなんだろうと思いました。

場面として一番印象に残った、好きだったのは35章と36章の九本指の彼女と港の見えるレストランで食事をしたあと、波止場を歩いている情景描写でした。

「倉庫のひとつひとつはかなり古びていて、煉瓦と煉瓦の間には深い緑色の滑らかな苔がしっかりと貼りついている。高く暗い窓には頑丈そうな鉄格子がはめられ、重く錆び付いた扉のそれぞれには貿易会社の表札がかかっていた。はっきりとした海の香りが感じられるあたりで倉庫街は途切れ、柳の並木も歯が抜けたように終わっていた。僕たちはそのまま草の茂った港湾鉄道の軌道を越え、人気のない突堤の倉庫の石段に腰を下ろし、海を眺めた。

正面には造船会社のドックの灯がともり、その隣には荷物を下ろして吃水線の上がったギリシャ籍の貨物船がまるで見捨てられたように浮かんでいる。デッキの白いペンキは潮風で赤く錆び付き、その脇腹には病人のかさぶたのように貝殻がびっしりとこびりついている。

僕たちは随分長い間口をつぐんだまま海と空と船をずっと眺めていた。夕暮れの風が海を渡り草を揺らせる間に、夕闇がゆっくりと淡い夜に変わり、いくつかの星がドックの上に瞬き始めた。」

ここは、沈黙している二人を、情景描写によって描写しているわけですが、ここはすごくいい描写だなと思いました。

特に好きなのは「荷物を下ろして吃水線の上がったギリシャ籍の貨物船」というくだりで、ポンと物理的な浮力のイメージがそこに投げ込まれているのは私はすごく好きでした。「病人のかさぶたのように」というイメージの投げ込み方はちょっといやですが、まあそれはしょっちゅうやってますよね、村上さんは。(笑)

”Life is unfair.”というのは、物理法則のように変えられないことで、それに付き合って行かなければいけない人間というものを、静かな気持ちで眺めている。この冷静さの感触と言うのがいやな人にはいやだろうし、その気づきが必要な人には評価される、という感じがします。

全ての人に受け入れられる作品は駄作だ、という話から言えば、この作品は読む人を選り好みする。数百万部売れるようになっても、多分村上さんの作品を嫌いな人は嫌いだし読む気にならない人は読む気にならないだろうなと思います。

でも、私のように「食わず嫌い」だったけど本当は好きだったかもしれない、ということもあるかもしれない。もしそんな人がこのレビューを読んで、村上春樹を読んでみようというきっかけになったら、まあ私としてはちょっと役に立てたかな、と思うのです。

お付き合いいただき、ありがとうございました。
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