個人的な感想です。

マンガ・アニメの感想を書いていきます。『進撃の巨人』『ぼくらのへんたい』『ランドリオール』など。

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堀越耕平さんの『僕のヒーローアカデミア』第11巻を読みました。


 


 


堀越耕平さんの『僕のヒーローアカデミア』第11巻を読みました。


この巻はストーリーの中でも一つの山場、活動限界が近いと言われていた『平和の象徴』オールマイトが、ついにその力を使い果たし、主人公・緑谷出久にそのバトンを渡す、その場面を描いたものになりました。


死柄木弔率いる敵(ヴィラン)連合がヒーロー養成高校である雄英1年生の強化合宿を襲い、出久の友人にしてライバル(というとなんか軽いが)である爆豪勝己を拉致したところを、その本拠である横浜・神野区をヒーローたちが急襲したものの、死柄木のバックにいるすべてのヴィランの起源ともいえるオール・フォー・ワンが現れ、神野区一帯を破壊したところにオールマイトが現れて、ついに最後の決戦が始まる、というところからでした。


死柄木たちが爆豪を拉致したのは、その強烈な個性・性格がヴィラン連合に必要だと判断したからなわけですが、爆豪もまたオールマイトを目指してヒーローを志した少年であり、その誘いをはねつけていました。一方、目の前で爆豪(かっちゃん))を拉致された出久は爆豪の親友である切島に誘われ、またそういう時には黙っていない圧倒的なパワー(個性)の持ち主である轟とともに爆豪救出に向かおうとします。しかし、ヒーロー資格のない彼らがその場で戦うことは固く禁じられていて、すでに兄がヴィランにやられた私怨から緑谷や轟とともに傷つき、まわりにも迷惑をかけた委員長・飯田と、ヴィラン追撃のきっかけを作った八百万は、彼らが「戦闘に加わるのを止めるため」にヴィランの根拠地を探りに向かい、そこでオールフォーワンとオールマイトとの戦いに居合わせることになりました。


11巻(90話~99話)はここからです。


内容はぜひ単行本を読んでいただきたいと思うのですが、今回このブログを書こうと思ったのは、雑誌連載時に比べてかなり加筆修正があるなと感じたからです。実際、ジャンプ本誌と照らし合わせながら付箋をつけたのですが、全部で19枚ついてます。あとで知ったのですが堀越さんもツイッターで今までで一番加筆修正が多いと言っておられて、ああそうなんだなあと思いました。


https://twitter.com/horikoshiko/status/794349375224881153


そのあたりを、ちょっとチェックしてみたいと思います。


90話(ジャンプ24号)「手を」は特に修正はありませんでした。出久のアイディアで、爆豪救出に成功します。91話「平和の象徴」は巻頭カラー。爆豪がその場から連れ去られたのを見たオールフォーワンは死柄木たちヴィラン連合をその場から転送し、オールマイトとの決戦に臨みます。この話では36ページのグラントリノのせりふが「連合もあと2人!」だったのが「二人」と漢数字に変わっただけで、大きな変更はありませんでした。


92話「ワンフォーオール」からかなり加筆修正があります。オールフォーワンはオールマイトに力を受け継がせた師匠・志村奈菜を殺していて、その死について語ってオールマイトを動揺させ、また市民を巻き添えにしないために攻撃が直撃したことによってオールマイトはその姿を維持することができなくなり、骸骨のようなトゥルーフォームになってしまい、人々に衝撃を与えます。そしてさらに揺さぶりをかけるために、オールフォーワンは死柄木弔が実は志村の孫であることを明かし、衝撃を与えます。その「君が嫌がることをずぅっと考えてた」というコマの背景が黒く塗られました。


そして追いつめられたオールマイトに人々が「あんたが勝てなきゃ、あんなの誰が勝てんだよ」というコマに背景が入ります。少しずつ絵の密度が上がっていく感じがします。


93話「残り火ワンフォーオール」では修正なし。でもここはもともと凄い密度でした。オールフォーワンはすでにオールマイトの力=ワンフォーオールが緑谷出久に譲渡されていることを見抜いています。


94話「師弟のメッセージ」ではかなりの修正あり。1ページ目がまず全部描き直しです。最初のコマが影絵的でしたがより具体的な描写になりました。1ページ目後半から2ページ目前半の部分がとり出され、それが2ページに増やされ、さらに師の志村との鍛錬の場面の回想がはさまれます。「さらばだ オールフォーワン」の「さらばだ」がほぼ丸々1ページの大きさのトゥルーフォームのオールマイトのアップになりました。ここで彼の「オールマイトとしての最期」の余韻がより深くなっています。そして「さらばだ ワンフォーオール」の場面の深さが、より際立ちました。


そして(最後の)勝利のスタンディングの後、「次は君だ」とテレビカメラを指さすのを見ている出久の顔に、薄いスクリーントーンがかぶせられ、この場面の影がより濃くなりました。そして、泣きじゃくる出久の顔を横目で見るかっちゃんの顔、オールマイトと出久の関係を感づいた顔が、よりはっきりしたように思います。


そしてオールフォーワンが死柄木へのモノローグメッセージを送る場面で、「先生というのは弟子を一人立ちさせるためにいる」という場面が二コマ本誌ではベタだったのが、単行本では情景が描き込まれました。敗北に打ちひしがれ、暗く鈍い決意をするヴィラン連合の様子が、はっきりとわかります。このコマは凄かった。


そしてラストの「次は 君だ」という場面で、明るい方を向く死柄木とコントラストを描くように、出久の向く方向が雑誌では白いままだったのが黒くベタで抜かれ、よりその対比が印象的になりました。


95話「始まりの終わり 終わりの始まり」では2ページ目3ページ目の警察の会議の背景が描き込まれています。事件後の顛末が描かれる中、ラストの数ページで海岸で出久とオールマイトが会話する場面になりますが、「これから君の育成に専念していく」というオールマイトに泣きじゃくる出久、海岸の風景が描き込まれたことと、オールマイトが出久を抱く場面で二人の顔がそれぞれアップになる場面が描き込まれ、そしてさらに海の上に半月が浮かぶ印象的なページが挿入されました。


ここで第一部・完、という雰囲気になっています。


96話「家庭訪問」では1ページ目の「ら致」ということばが「拉致」と漢字にされていました。雄英はこの事件後、全寮制となり、その承諾を取るために教師たちが生徒たちの家庭を回るわけですが、そこで爆豪がオールマイトに出久との関係を訪ねる場面、雑誌で読んだ時よりより一層はっきりと爆豪がその関係をつかんだ印象が強くなりましたが、これは単行本で続けて読むことでよりストーリーがはっきりしたからだと思います。


そして出久の母が全寮制を拒絶する場面で、「(雄英 行かなきゃダメ・・・?)ごめんね出久」というセリフが少しととのえられ、出久の顔が描かれました。このあたり、母の意志がはっきりと表れていて、とても印象的でした。


97話「ガツンと言うからお母さん」は、変更なし。これは意外でした。この時、すでにヒーローになることを決意している出久の姿勢に感動したオールマイトは、母の前で土下座して「彼の憧れに甘え、教育を怠ってきたこと謝罪いたします」というのですが、この時のせりふがとても印象的で、本誌で読んだときとすごく印象が違ったので描き直していると思ったのですが、ここは全くそのままでした。やはり続けて読むと印象がかなり変わる、という例なんだろうなと思いました。


98話「入れ寮」は、まず担任の相沢(イレイザーヘッド)が緑谷たちが爆豪救出に赴いたことを皆の前で叱責し、また他の生徒もそれを知っていたことを見抜いて本来なら全員除籍だ、と言います。この相沢のせりふが背景にべたが塗られていて、その深刻さが強調されています。そして科白上はここが一番大きな変更だと思いますが、「雄英から人を追い出すわけにはいかない」事情を語るセリフが挿入されました。


そして次のページ、皆を盛り上げるために爆豪が上鳴を放電させてアホ面にし、切島に金を差し出す場面が上鳴からカツアゲした?と切島に驚かせるセリフに変えていて、ここは本誌連載のときちょっと流れが悪かったので、とても読みやすくなりました。そして引っ越しが終わり、くつろぐ場面に背景が入っています。そのあと「部屋王決定戦」に行きますが、単行本で読むと雑誌で読んだ時の漂流感がなくなって読みやすくなった気がしました。


99話「さよなら二桁 これから三桁」は、題名が話数のことを言ってます。引き続き部屋王決定戦ですが、結局部屋王はシフォンケーキを食わせた砂糖が獲得します。その票数が6票というのはおかしいなと思っていたのですが、単行本では5票に修正されてました。女子は梅雨ちゃんが不参加だったので5人なんですよね。


そしてラストの方、梅雨ちゃんが爆豪救出に赴いた5人に話をする場面。「心を鬼にして辛い言い方をしたわ」という場面に梅雨ちゃんの表情が描かれ、その下のそれを慰める麗日さんの顔にも影のトーンがかけられていました。次のページの下の麗日さんの顔が角度が変えられてより不自然さがなくなっていました。


見つけられたところは以上ですが、全体に堀越さんの絵に対する強いこだわりを感じました。


『僕のヒーローアカデミア』は本当に絵の密度の濃い作品だと思います。そしてそれをさらに上げるために、またストーリーをより際立たせるために、本当に手を抜かず、描き込んでいるんだなと思いました。


連載時には、絵が間に合わないこともあるのかもしれません。週刊連載の宿命かなと思います。しかしこうして常によりよく仕上げる信念があるからこそ、この作品は素晴らしいものになっているのかなと改めて思いました。

コミックゼロサム12月号でおがきちかさんの「ランドリオールLandreaall」第162話「夢は逆夢」を読みました。




コミックゼロサム12月号でおがきちかさんの「ランドリオールLandreaall」第162話「夢は逆夢」を読みました。

今月のランドリは巻頭カラー。何か秋っぽい彩りです。個人的には見開き3ページ目のイオンの表情がいいなと思いました。

そして第29巻の発売予告、限定版はオリジナルアニメDVDが付属とのこと。さてどのような作品になるのか。設定画も公開されていましたが、おがきさんの絵よりかなりいわゆる「アニメ絵」よりの印象。監督はエヴァの原画を担当し、「ああっ!女神さま」の監督をした合田浩章さん。制作は「暗殺教室」等で制作協力をしているウィルパレット、とのことです。2月25日発売とのことですので刮目して待ちたいと思います。

今月はノーアクション、会話回の展開でしたね。場所はアカデミー、基本的にDXとライナスの会話で話が進んで行きます。カラーページを含めて23ページです。

クレッサールで奴隷に売られたDXはライナスたちに救出され、その後クエンティンに挑むために奴隷市場=黒虹で奴隷にされていた人たちを傭兵として雇うわけですが、資金がないのでDXは自分の右腕の竜創を担保にしてライナスから金塊を借りたわけです。竜創はランドリ基本知識の一つですが、3巻(だったと思う)でDXがエカリープの歌う樹に縛り付けられ竜を封じていたマリオンを救うために火竜と戦った際についた右腕の傷で、竜の力が発現するDXのお守りみたいなものであると同時に、その骨は死後強力な剣になり得ると言うものですね。ライナスはそれに目をつけていて、「死んだら右腕を俺のものにする契約をしろ」と以前から迫っていたわけです。

ライナスたちがアトルニアの首都・フォーメリーにあるアカデミーに戻って来ている描写は先月まではありませんでしたから、今回の会話は彼らが帰って来てすぐ、ということになるのでしょう。巻頭カラーページに描かれているのはライナスとルーディー、DXとイオンと六甲です。これは二人が帰国したときでしょうか。ここでライナスが、不機嫌そうに竜創の契約は白紙だ、と言ったのでした。

で、場面変わって男子のぐだぐだ会話。そこにいるのはDX、ライナス、ルーディー、フィルとティティというメンツです。ライナスがハーとため息をつきながらテーブルに突っ伏しています。

竜創の契約が白紙になった経緯をライナスが話します。DXはクレッサールでクエンティンを倒した際に手に入れた沙竜(サリ)を黒虹にあっさりとプレゼントしたわけですが、この沙竜とはお金で買えるようなものではなく、それを持つことによって砂漠を流浪する集団も部族=里になることができ、その竜の力で自活して行けると言う貴重な神器なのですね。

で、結局黒虹の奴隷商=新たに里の長になったカリファが、DXが傭兵代として支払った金塊をライナスに返して来て、DXの借金はチャラになったから、契約はもう白紙になった、というわけなのです。

ライナスとルーディ—は傭兵たちを黒虹に送り届けて、そのあとすぐ移動してしまったということで、黒虹がどうなったかは彼らも知らないと言うことなのですが、DXは空を仰いで明るい顔をしています。ルーディーも「金を返してくれたんだから悪いようにはなってないんじゃないの?」といいます。イプカのこともそうですが、これでクレッサールがらみの伏線はだいたい解決した雰囲気がありますね。

まさに一件落着という感じです。

ライナスたちはロビンの件に深入りしようとしてベネディクト卿からライナスの父・サイラスに警告が行き、二人ともクレッサールに飛ばされて貿易商にして玉階(そのときはわからなかったけど)のオルタンスの元で商売に従事する羽目になっていました。

結局ライナスたちはたまたまDXを救出することになったわけですが、砂漠の毒と熱で弱り切ったDXをライナスは「回す」ことに成功したことを、DXは記憶がないので信用していません。

ライナスとルーディーがアカデミーに戻って来れたのは、ロビンの問題が解決したからだ、ということがここで明らかにされます。

「フィルのおかげだね」とルーディーは言います。フィルがロビンをつれて大老に会いに行った件のその後が、「ロビンは身元を隠したままで大老が手を打ってこれからも会う機会を作ってくれることになった」ということで、「波風を立てない形で」ロビンは唯一の身内と判明した大老と会うことが出来るようになった、ということがわかりました。

大老は「男子の子孫が絶えている」という理由もあって新しく王に推戴されているので、もしロビンの存在が公になったらまた大変なことになる、ということでこのあたりはガタガタしていたんですね。

しかしそこが「丸く」おさまったので、この件に連座?して飛ばされていたライナスとルーディーも戻って来ることが出来たということのようです。

ライナスとルーディ—は「フィルは漢(おとこ)だよね」「おっそろしくおもいきったことやりやがったな」と感心していてフィルは戸惑いますが、実はそこまでやらせるつもりは二人にもなく、フィルがある意味先走って暴走した、ということがあきらかになってちゃんちゃん、ということになりました。

まあそこは、フィルの友達(ロビン)を思う気持ちがすべてを成功させたわけで、つまりまあ、この話の主役はやっぱりフィルだったんだな、ということがよくわかりました。

まあ恐れを知らないということは怖いことだ、ということでもありましたが。(笑)

場面は変わり、共同浴場に来たDXは他の学生と捕虜にされた(本当は奴隷ですが)話などしたりしています。そこにライナスが呼びにきました。

ライナスがしたのはちょっと重大な話。クレッサールの「古の竜(デュエタウス)」は寿命が来てる、というのです。

ランドリの世界では、竜が国を護っている。リドの国ウルファネアでも、ウールンの国パンテルイモノスでもそうなのですが、アトルニアには竜がいません。クレッサールには古の竜がいて、沙竜はその力を蓄えて調整する神器であり、それを使って人々は護られていたわけですが、黄金沙竜(=古の竜でしょうか)が滅びようとしているなら、その道具の力も意味がなくなるのだというのです。

アトルニアにはもともと竜はいないのですが、それによって危険種=モンスターがたくさん出る。それを抑えて戦っているのが傭兵たちなわけですね。黒虹はDXによって、傭兵の里として自活する道を開かれた、とライナスは指摘します。

クレッサールは「砂の掟と部族の国」。アトルニアのように騎士団を組織するには向いてない、とライナスは言います。アトルニアは本来王のいる国ですから、騎士団があるわけですね。しかしクレッサールは王はいないので、危険種が出るようになれば、確実に需要が伸びるのが傭兵だ、というわけです。

ライナスは、自分とDXでクレッサールに傭兵を売る、という商売を思いついたわけです。

確かにそれはスケールがでかい。ルーディーの作った宝飾くらいでは商いとして小さいですからね。

アトルニアで傭兵の街は、DXの故郷であるエカリープとその近くの西交易街(オーバールーン)。国の反対側ではありますが、頭数が必要なのは最初だけで、あとはクレッサールで傭兵集団を作ればいい、とライナスは言います。

DXはそれを聞いて、オズモおじさんに話してみる、と言います。オズモは議会の議長ですから、そこに食い込む方がいいと。DXは、クレッサールの流民たちが奴隷になるのを防ぐためにも、それは良いアイディアだと思ったのですね。

それを聞いてライナスは父サイラスに話を付け、カディス家のキャラバンで傭兵を運ぼう、と言います。これが出来たら流民に仕事が出来て盗賊も奴隷も減ると。ライナスとDXは二人で未来を描くのでした。お前が領主になる頃には俺と大儲けだ、と。まあこのコンビがわりと素直に夢を描いているのは何かこそばゆい感じはしますが、まあ人はこうして大人になって行くんだなと思いました。

これは政治ですね。政治が絡んだ大きな商売。ライナスもついに王位継承候補・DXを後ろ盾にして政商として活動を始めるか、という感じになりました。二人とも意気揚々という感じです。

が。

オズモやサイラスはこの話を鼻先であしらいます。実はもう5年も前から、この計画は進んでいたというのですね。古の竜の力が弱まり、国境の駐屯地に逃げ込むクレッサールの民が出始め、救助や街道の警備を騎士団が引き受けて、長老会議も態度を軟化させ、だからここ数年国交がうまくいくようになった、というわけです。

南タウスマルの騎士団の支団長・マナーズがクレッサールの事情にとても詳しいのがどうしたのかと思っていたのですが、それもそう言う事情だとわかるとなるほどという感じですね。

カディス家はもう傭兵と学者を手配する契約を既に8つも落札しているわ、議会では奴隷制の廃止を含めた計画がもう10年先まで通っているとか。

だあ。大人たちには敵わない、みたいな話になりました。ちゃんちゃん、です。

まあ、こういうストーリーだからということはありますが、DXやライナスが凄い活躍をすると大人が霞んでしまう、というふうにどうしてもなってしまうわけですが、ランドリオールの面白いところは、まだまだ大人には敵わない、というエピソードを必ず入れて来るところだな、と思います。

再び男子ぐだぐだ会話。今度はテーブルに突っ伏してため息をつくのはライナスとDXの二人です。

「5年遅れ」と言われた二人をルーディ—は20年後には追いつくんじゃないの、と慰めますが、ライナスは10年で追い越す、と息巻きますがDXは「ルーディーかしこい飴あげる」・・・平常運転に戻りました。

今回は「大人にはまだまだ敵わない」というオチになりましたが、ランドリ世界の、特にクレッサールの事情がかなり具体的に説明されていて、今回はこれを説明するのがストーリーの狙いだったのかな、と思いました。

アクション場面もなく、ディアやユージェニと言ったきれいどころも出て来ない回ではありましたが、こういう回こそまた後から何度も確認するようになるんだろうなとも思いました。

また来月号を楽しみにしたいと思います。

おがきちかさんの「ランドリオール」第161話「木を植える人」を読みました。





コミックゼロサム11月号でおがきちかさんの「Landreaall(ランドリオール)」161話「木を植える人」を読みました。

おがきちかさんの「ランドリオール」、今月はびっくりのお知らせが。表紙に「アニメ化決定!」とありました。来年2月に発売の単行本29巻限定版で、オリジナルアニメDVDが特典としてついて来るのだそうです。今までもドラマCDとかはありましたが、色がついて動くランドリのキャラは見たことがないですよね。楽しみです。

以前からアニメになってもおかしくない作品だとは思っていたのですが、でも内容が少し難しいかな、という感じはしていました。どんな内容の作品になるのか、楽しみにしたいと思います。

さて、161話。以下、内容に触れながら感想を書きますので、どうぞ本誌の方を先にお読みください。

120話で、六甲とマーニーの会話が初出してから全シーンがアトルニアの場面になったのは初めてです。3年以上クレッサールに行ってたんですね。今回は王城とアカデミー、すべてがアトルニアの首都フォーメリーでのお話です。

扉はメイアンディア。ディアは初出の時から好きだったので、最近出ずっぱりだったのは嬉しかったのですが、今後はさてどうなるか。ロビンの件もあるし、レイの件もまだわからないことがある。それにファラオン卿の王妃として新王の戴冠式にも出るでしょうから、出る機会には事欠かないと思いますが、DXの日常とは少し離れてしまうかな、とは思います。

冒頭は久々のアカデミー。寮監・R=ケリーの娘、アリス・ケリーの授業。DXは相変わらずびしばしやられています。レーカーベアが付属して奴隷市場で切られたまんまの短髪。同じ制服ですがちょっと雰囲気が変わりました。従来のままのリドや五十四さんがそこにいるので、なおさら変化を感じさせますね。

DXの回想。王城でのディアとの分かれの場面。DX、イオン、六甲、そしてリゲインとファレル。オズモもいます。そしてディアの向こうにはレイの姿が。「一生に一度の大冒険だった」というディアに、「君は案外冒険に向いていると思う。僕は君の騎士だ。君が望むならいつでも塔のてっぺんに連れて行くよ」というDX。前回までなら、ディアも素直な気持ちが出てしまったところだったでしょうが、王城での、しかも皆が見ている前では、ディアは儀礼的な貴婦人と騎士の関係を演じる形になっていて、本当に日常に復帰した、という感じがします。このあたり、前話との対比がはっきりしていて、わかりやすいです。

リドに「彼女は塔に、俺はアカデミーで補習漬けの騎士候補生。魔法が解けたみたいな気分だ」というDXですが、さて魔法は解けたのでしょうか、それともまだ続いているのでしょうか。ふふ。

場面変わって、アニューラスの見舞いに行くイオン。ここは王城の中の病室なんでしょうね。イオンが部屋の中をのぞくと、ベッドにいるアニューラスの傍らにお茶のカップを手に立っているレイ・サーク。「勇敢なお姫さま」と呼びかけます。その話、ディアから聞いたのか、アニューラスから聞いたのか。ちょっと警戒感のある顔で挨拶するイオン。

わちゃわちゃと3人の会話が始まりますが、「アンちゃんがこんなことになってるなんて、やっぱりクエンティンの顔を5発くらい殴っておけば良かった!」というイオンに「しんじゃいますねえ」とアンちゃんがツッコミを入れるコマが可笑しいです。

イオンも世間というものがわかって来たようで、「褒める人はお父さん(リゲイン・ルッカーフォーと将軍)に言いに行くけどお小言はアンちゃんに言うんじゃないかって。もしかしてそう言うのがうるさいから(まだ入院しているの?)」というのは何かあんまりイオンぽくないですね。でもイオンはイオンなりによく考えてる。その会話に突っ込んで来るレイに、アニューラスは「レイは大丈夫ですよ。おおむね私も同意見です。王城はDXに多いに期待していますよ。でも御せないのが怖いんです」とフォローします。

「ディアは戦争はしないって言った。おにいはディアの騎士だもん」というイオンの言葉にうなずくレイ。アニューラスは「私はDXさまを閉じ込めるつもりはありません。旋風鳥(バクラワ・DXのことですね」のために森を作ることにしたんです。とびきりすてきな森。王を決して孤独にしない。怪我も小言も私は怖くありません」と言います。いい場面です。目をキラキラして「かっこいい」というイオンに、「うっへへへ」とデレ顔をするアニューラス。このへん全体に表情を崩し過ぎです。(笑)

今月のサブタイ、「木を植える人」というのはアニューラスのことなんですね。

見舞いを終え、連れ立って病室を出て王城の中を歩くレイとイオン。不思議なツーショットですが、アニューラスやディアとのレイの関係を考えると、今後も出て来るかもしれません。

ぺらぺらいろいろ喋るレイですが、イオンは無表情な目でレイを見ています。イオンのこういう目は今までほとんど見たことがありませんが、「この人信用出来ないなー」というのが今までなら表情に出ていたのが、ちょっと大人になったということなのかな、という気がします。作画のスタンスがちょっと変わったのかなという気もしなくはないのですが。

レイという名前は、イオンに取っては「ディアと付き合ってる人」という情報の対象者なんですよね。もとは市場を二人で歩いているところを17巻90話でライナスとフィルに目撃された、ということが元になってたと思います。その情報を思い出してレイを凝視するイオン。このあたり、イオンの描写が今までにないパターンだなと思います。

ディアとレイの関係を聞き出そうとするイオンですが、レイは「秘密は僕の盾だ。貴族じゃない僕には後ろ盾がない」と言います。このあたり、読者にも秘密はあまり明らかにされていませんから、ちょっと楽しみです。

ここのイオンとレイの会話が洒落てる。「君はディアと親しいんだから、彼女が君に話すならいいんだよ」というレイに、「ディアが盾をおろさせることは仕方ないってことですか?」というイオン。「ディアが君を信頼してるってことを僕は知ってるるよ」というレイに、「あなたと私の間には信頼とかないのディアは知ってる、困らせたくないなあ」とイオンは応え、レイはイオンの純粋さに「僕の負け」と思い、「ちょっとまぶしくて」とか言いだします。ここはレイっぽくない。(笑)

そしてレイはイオンに王城への召喚状をプレゼントします。これがあったらいつでもディアにあえる、ということを知ったイオンは「ふおおおお!!」と喜びます。熊か何かか。(笑)もう既にイオンらしいのかどうなのかよくわかりません。

でも召喚される人の名前は「ルッカフォート」とのみ。

・・・

・・・

・・・

レイ先輩、また何か仕掛けてますね!

ルッカフォートだけだから、イオンでも、両親でも、いやまあつまりDXでも、ディアに会いに行くことが出来るわけです。

「お兄のライバルなのかもだけど」

と思うディアですが、レイの真意を測りかねるのでした。

ラストの場面では、ディアの「旅の話」の続きを聞くファラオン卿。ロビンのこともどうなったのか、どうするのかなあと、気になるところではあります。

今月は、新たなるスタートの序章、という雰囲気を湛えた回でした。

次号は巻頭カラーだそうです!楽しみにしたいと思います。(いつ以来かな…連載10周年のときは覚えているのですが…)


コミックゼロサム10月号でおがきちかさんの「Landreaall(ランドリオール)」第160話「ラベンダーズ・ブルー」を読みました。


クエンティンとの戦いも終わり、リゲインの仕切りでクエンティンとユージェニが旅立ち、DXたち一行はバハル・チレクの兄妹に連れられて帰途についた、というところまでが前回でした。

ずっと戦いと変事の話が続いていましたが、今回は壮大な揺り戻しと言うか、日常への復帰の回です。ちょっと甘酸っぱい場面もあり、よかったなあと思います。

以下、内容に触れながら160話の感想を書いて行きますので、ぜひゼロサム本誌をお読みになってから読んでいただければと思います。

扉はDX、フィル、それにリドと五十四さん。平常運転に戻るのかな、という予感。アオリも「さあ、新しい扉を開けに行こうか!」です。

ページをめくると、まずアトルニア議会。玉階オルタンスがDXを救助したことを報告。そして天恵研究室(ラボ)のフレミー主任が久々の登場。王城でクエンティンに呪いをかけられた人々の解呪方法について説明しています。「神学会」というのは初めて出てきましたが、「麦の女神(エスノア)」の加護が強い吉日に祈祷をすれば効果が上がると説明しています。オズモ議長は原状復帰への手を打ち、リゲインたちの帰還を待つと言う構図になりました。

一方、アトルニアとクレッサールの国境のタウスマルでは、駐屯騎士団の支団長マナーズと、預けられている「虎斑」部族の娘・マーニ。虎斑には戻れない、というマナーズに黙ってうなずくマーニですが、クエンティンの「忘れられた砦」、ここで彼は非人道的な扱いを受けていた子どもや流民の子どもを引き取って働かせていたのですが、クエンティンが去ってもそこでは子どもたちは続けて暮らすことになり、「沙竜があるので里になれる」ので、マーニが砂嵐の神(ボランディ)の教えや砂とともに生きる掟をその子たちの家族になって教える、ということをマナーズが提案し、どうもそう言う方向に行きそうです。やはり流民の子としてユーハサンで孤独に生きるより、里で「家族」と生きる、という可能性に、マーニは涙を浮かべるほど嬉しく感じているのですね。

しかしこのマナーズという人もただ者ではない。「嘘がわかる」という天恵があることは語れていましたが、いくら国境地帯に駐屯しているとはいえ、何故これだけクレッサールおよびクレッサール人の考え方や習慣、掟のことがわかるのか、不思議です。その辺りはまた語られることもあるでしょうか。

続いてフィルとロビン。「家族に会えた」ことをフィルに感謝するロビンですが、「DXさまが褒めてくれるよ」というロビンに対し、フィルは「犬じゃねえんだから」と素っ気ない。フィルが「パピーグレイ(汚れた子犬)」と呼ぶ人もいることを考えると、ちょっと可笑しいです。で、ロビンは「イオンさまも褒めてくれると思うよ」というとフィルは「それは、ちょっといいかもしんねーけど」と何か含みのある反応。イオンに褒められると多分嬉しいんですね。(笑)

そして道中のDXとディア。DXの王城、つまりオズモへの信頼とディアの大老への信頼。本当にこの世界は、「信じられる大人」というのが出て来る、まあそう言う意味でファンタジーの世界なんだよな、と思います。

そして今月の見せ場。

「天恵切れ(エンプティ)ンあると寝ぼけたような、酷く酔ったようになるの。変なこと言ってないといいのだけど」というディア。どうも心配しているのは、DXに対する本心を言ってしまったのではないかということみたいです。

でもDXはそれをスルーして、157話でのディアとの会話について言います。

「天恵は隠しておかないと、人を傷付けたら取り返しがつかない」

最初に読んだときははっきりわからなかったのですが、この言葉がどうやらディアに取ってはトラウマと言うか、「逃れられない呪いの言葉」みたいなものなのですね。

157話では、この言葉の呪いに落ち込んだディアをDXが「君は君だ」という言葉によって救い出そうとし、そしてイオンの「ありがとう」と言いながらの涙によって我に返った、という場面になっていました。

DXが気にしていたのは、一体誰がこの「呪いの言葉」をディアに与えてしまったのかということだったわけですが、ディアははっきりと「心配しないでDX、大老じゃない。先生は私を助けてくれたの」と答え、DXは「そうか」と首筋を押さえます。DXにも、そう言う疑念がちょっときざしていたのですね。

ディアがどういう人生を歩んで来たのか、まだほとんどの部分は謎なのですが、その呪いの言葉に暗く閉ざされていた前半生と、ファラオン卿による救いの大きさが、ディアの人生の大きな部分を占めているんだなということはとてもよくわかります。

ディアは改めて王城で何があっても自分の天恵を秘密にしてほしい、と頼み、DXは「竜創に誓うよ、マイレディ」と答えます。騎士と貴婦人の関係をここでもう一度確立する。

しかしDXのことですからここで終わらない。「ディアの天恵は自分をすごくきれいに見せる天恵を持ってるのかと思っ・・・」

!!!

!!!

(笑)(笑)(笑)(笑)

さすがDX!

しかしディアはさっと自分の天恵でDXの記憶を混乱させてしまいます。そこにやって来たチレクとイオン。チレクは「残念!」と叫び、どうもこれは「せっかくいいムードになったのに〜〜」みたいなコトだったようですが、ディアは恥ずかしがってます。

つまり、DXの何の気なしの愛の言葉を上手にスルーできず、思わず天恵を使ってしまったことを「きっと変に思われた」と恥ずかしがっているのですね。

王城に近づいて来るに連れ、DXやイオンと距離を取らざるを得ないディアを、イオンは「なんだろちょっと寂しい」と思っていますが、まあそれもまた日常への復帰ということなのですよね。

変事であり、戦闘であり、最大のピンチであり、そして外国と言う八方ふさがりの状況だったわけですが、でもだからこそ気持ちが正直に通じ合えることができた。それももう終わる。夏休みがいつまでも続かないように。

ここの場面を夏の終わりの10月号に持って来たことは素晴らしく上手だなあと思いました。

場面は再び王城。オズモとベネディクト卿を守って自らの「使い魔」猫たちに殺されかけたアニューラスですが、もうだいぶ回復して仕事をしています。レイをこき使っているようです。

クエンティンとユージェニが駆け落ちした、という噂をどうやらオズモが流したらしい。王城で裁かなくてよかったのかと言うアニューラスに、「議会はリゲインを信じてる」「あなたもでしょう」「リゲインは生粋の騎士だ。現場での問題解決能力はピカ一」と答えるオズモ。なるほど。信頼によってリゲインに付与されている権限は、巨大なものがあるわけですね。

「誰でも何かに縛られているが、足元が崩れたときはそれがよすがになればいい、騎士の誇り、王女への忠誠」というオズモ。なるほど、「何かに縛られている」ということは、「足元が崩れた時」のためなのかもな、と思えます。これはリゲインの騎士である大変さと強さについての過不足のない説明になっているのだなと思います。

レイも相変わらず可笑しいです。レイは自分を道化だと言いますが、なかなか彼のポジションにトリックスターを持って来ることは難しいだろうなあと思います。アカデミーの寮ではチューターと言う地位ですしね。なかなか「リア王」の道化のようなわけにはいかない。

そして最後に大老ファラオン卿。彗星「アトレの火矢」を見て、「帰って来る・・・私の小鳥が」とつぶやきます。

私の小鳥、とはもちろんディアのことだと思いますが、でも小鳥と言うと思い出すのはロビン(コマドリ)でもあり、またちょっと重層的な感じがしました。

なんというか、「8月31日」みたいな展開のストーリーでした。2学期はどうなるのでしょうね。

さて、これで「20年前の戦争」「革命の真実」「失われた王女(アブセントプリンセス)」と言った重要な「謎」が解決したことになります。

・・・考えてみると、もう謎らしい謎が残っていませんね。

まだまだお話は続いてほしいのですが、今は長い長い幕引きの途中なのかもしれません。

ここから急に「第二部」が始まるというのも、期待したいところなんですけどね。(笑)

今後の展開を楽しみにしたいと思います!

「キングダム」:「史実」と「物語やキャラクターの作り方」。





「コンビニ人間」の感想を別ブログに6回にわたって書いたのですが、かなり自分的には気合いの入った文章を書いたせいか、昨日はずっとマンガ「キングダム」を沈潜して読んでいました。

ものを書いてその疲れを取るのにマンガを読む、というのは悪くないパターンだと思います。特に「キングダム」のような「はまれる」マンガはそう言う時にちょうどいい感じがします。

この作品は今までのところ連載で485話、単行本で43巻まで出ていて、単行本に収録されているのが470話までなので、あと15話分が未収録ということになります。私が読み始めたのは今年の頭だったから、既刊分を読み終えて未収録分に突入したのが2月頃、それからずっとヤングジャンプを買っていますが、7月19日発売の43巻でようやく全話続けて読めるようになりました。週刊連載の作品はそういうところが不便だなと思います。

この物語の始りは紀元前245年。始皇帝が13歳で即位した翌年です。主人公の(李)信は15歳ですが、連載の現時点では紀元前238年で22歳になりました。7年経過しています。三百将だったときにライバルの蒙恬たちに出会ったのが17歳の時でそれからでもすでに5年が経過し、いまや五千将としてワンランク上がれば将軍というところになっています。考えてみれば22歳で5000人を率いる武将というのもすごいわけです。(羌瘣の3000人を加えれば8000人ですが)

歴史マンガというものは、史実を調べれば展開がわかる部分があるわけです。特に秀吉や家康の時代など、誰でも知っている時代を描く時には、周知の史実をどう描くのかというところがかなり肝になるわけですが、中国古代の歴史はそれに比べると史料が圧倒的に少なく、キングダムも多くは創作です。しかしその中でも知られている史実はあって、わからないところを「どう描いても許される」という考え方で圧倒的な創作力で描いて行く部分と、史実として有名な部分をどう再解釈して描くのかと言う二つのポイントがあるわけです。そこがふたつともこの「キングダム」という作品は成功していると思います。

主人公の李信は史実にある人物で、秦始皇帝による中国全土の統一事業のときの将軍の一人なのですが、生い立ちや家系などは全然わかっていないので、彼の「戦災孤児→下僕」という経歴は全くの創作です。ただ、彼は史記の「秦始皇本紀」に出て来るだけでなく、彼の子孫が漢の時代やその後の時代にも活躍していて、その辺りも物語と相まって考えると面白いです。

この物語はいろいろ面白いところがあるのですが、考えてみるとまず不思議なのが、主人公の信が「天下の大将軍を目指す」というところです。

それは大きな目標のように思えるが、昔の主人公だったら「天下を取る」ことを目指したでしょう。豊臣秀吉にしてもナポレオンにしてもその上には誰もいないトップを取ったから(秀吉の場合は厳密に言えば天皇がいるが)人気があるのであって、「天下の大将軍」であればその上に王がいるわけだから、その目標は最も高いとは言えません。中国では最下層から皇帝に上り詰めた例はいくつもあるわけで、その辺は不思議なのですが、目指すのが「天下の大将軍」だからこそ「中華統一を目指す秦王・政」と目標を共にできるわけで、構造的には面白いです。もちろん、「強い武将になる」というシンプルな目標を単純に表現しただけ、ということもできるわけですが。

細かいところも読んでいてあとで「そうか」と思うことが多いのですが、例えば信のライバル・蒙恬が軍師としての師の昌平君に築城の才を認められたと言う話が出て来ますが、史実で蒙恬は万里の長城を修築し匈奴の侵入を防ぎ、北の守りを固める将軍なので、読んだ時には気がつきませんでしたが、ある意味伏線になっているわけです。

またその昌平君が「秦でなく楚で立っていたら恐るべきことだった」と言われる場面がありますが、これも史実の展開を見ると実は伏線になっていわけで、なるほどなあと思わされます。

この物語の主人公は、李信だと書きましたが、本当はもう一人いるわけですね。それは後に始皇帝と称する秦王・政です。この二人の成長の物語が、この作品の主軸をなしています。中国全土を覆い尽くす壮大なビルドゥングスロマンなのですね。

史実は、この二人の成長を描くためのいわば材料の一つになっていると言えるかもしれません。政の乗り越えるべき存在として宰相・呂不韋がいます。これは史実通りですが、信にも「将軍の何たるか」を教えてくれる師と言うべき王騎という将軍がいます。この人は実際に活躍した将軍には違いないのですが、不明点が多く今まで注目されていたとは言えない人物で、この「キングダム」で信との関係から、「大将軍」というものを象徴する存在として、最も巨大で魅力的なキャラクターのひとりになったことは作者にとっても予想以上だったようです。主人公をすごい将軍にするためには、その将軍の何たるかを教えてくれた存在もまた、すごい人間でなければならない。もちろんすべてを自分で習得した人物として描くことも不可能ではありませんが、この春秋戦国という時代において先行者はいくらでもいたわけですから、その中の理想の存在として王騎は描かれるべき存在だったわけですね。

そのあとにも実にさまさまなタイプの武将が現れて来て、その個性の面白さがこの作品の大きな魅力になっているわけですが、「大将軍」と言える人物たちは皆それぞれ際立った個性を持っていて、物語の輪郭を浮き上がらせています。

師がいればライバルもいるわけで、その存在として描かれるのが蒙恬や王賁という実在の人物たちです。その二人もまた未熟だけども志は高い、オリジナルで魅力的なキャラクターたちです。蒙恬は投げやりな部分を信の影響で熱く燃え立たせ、王賁は気位の高さが信と競うことでより更なる強さになって行くところは読ませるなあと思います。この三人は三人で大業を成し遂げるわけですが、その史実から逆算してキャラクターを作り上げたのだと思います。李信、蒙恬、王賁とも生没年は未詳なので、始皇帝の生年・紀元前259年にあわせてその前後に設定したのだろうと思います。

当然ながら史書に取り上げられるエピソードの多い秦王・政には、周りに何人も重要な人物が出て来ます。呂不韋があれだけ巨大な存在に描かれたのは政が乗り越えるべき存在だから、その壁の大きさを示すためにそう描かれたわけでしょう。呂不韋は「商人としての本質」を余すところなく現しながら秦並びに六国を手玉に取り、国を牛耳りながら人生を好きなように謳歌して行きます。大変魅力的です。煌めくような「悪の魅力」だと言っていいでしょう。

この物語の圧巻の一つは加冠の儀の後に呂不韋と政の間で行われる問答です。呂不韋は商人として、文官として、経済官僚として、貨幣経済と流通により国を栄えさせると言う現代においては正論というしかない論を並べ立てます。それに対して政は、「人の本質は光だ」といい、中華を統一して戦争をなくす、という理想を述べます。読者は統一された秦が始皇帝没後間もなく崩壊し、再び戦乱常なき世に逆戻りして行くことを知っていますから、逆に言えばその論に説得力を持たせることは難しいことだったと思います。しかしそこに、「光=理想」を持ち込むことにより、倒れても死んでも失敗してもなお理想に向かって進もうとする人間の本質を描こうとしていて、逆に言えばそのためにそれまで理想に倒れた人々が描かれたのだということがわかります。

ここの部分、今書いていて作者の意図がより見えて来た感じがするのですが、現代の常識的に言えば呂不韋の「現実論」の方が強いわけで、ある意味現代が「理想なき時代」であることも浮き彫りにしているとも言えるわけです。しかしだからこそ理想は必要であり、魅力的であるとも言いいたい。政にしろ信にしろ、理想に対するこだわりははっきりとあります。

もう一つ書いておきたいのが史実の再解釈について。王弟成蟜の反乱が、実は成蟜が国王派として呂不韋と敵対していたから呂不韋によってはめられたものだ、という解釈は「光」の話につながる準備としてそうなったのだと思います。ただ踊り子の息子として生まれた政よりも身分の高い生まれだった成蟜を出すことで、宮中における政の不安定な地位を上手く表現することに成功していると思います。

しかし、一番大きな(解釈の)改変は政の母・趙姫(太后)とその愛人であった嫪毐の描写でしょう。呂不韋と政の対立は古くから描かれていたが、そこに第三勢力として太后の存在が描かれているのは新しい。この人物の境遇から、この人が現代人ならばさぞ苦悩に満ちた人生を送っただろうと想像されるわけですが、そのイメージをどんどん拡大されて形成されたのがこの「キングダム」における太后の人物像だと思います。

しかし大変意表を突かれたのがその愛人とされた嫪毐であって、普通は嫪毐自身に権力欲があったか太后との関係が露見して破れかぶれで反乱を起こしたとされているわけですが、この作品ではその反乱自体が呂不韋が政を排斥するための手段として画策されたものだとされ、嫪毐自身は小心な「心優しいバケモノ」として描かれているところです。これは今まで描かれて来なかった「太后の心の闇」を逆方面から照射するすごいアイディアだったと思うし、正直舌を巻きました。

政が加冠の儀を迎えるまでは外征もあるけれども基本的には内部対立の時代であり、連載10年かけてようやくその時代を終えて中華の統一事業に、つまり外征の時代に乗り出して行くのがこれからで、ここからは史実においても名前が出て来る将軍の戦いが多く出て来るので、それらをどう使って信や政の物語を描いて行くのか、大変興味深いです。

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