個人的な感想です。

マンガ・アニメの感想を書いていきます。『進撃の巨人』『ぼくらのへんたい』『ランドリオール』など。

「進撃の巨人」:リヴァイはどちらを選択したのか/「キングダム」:信の帰郷



昨日は丸一日忙しかったので、「進撃の巨人」20巻と別冊少年マガジン9月号の発売日だったのにTSUTAYAに買いに行けたのは仕事が終わったあと、10時頃になった。寝る前に一通り読んだけど最新話はすごい展開。まあ二択でどうなるかはわからなかったけど、こっちを取ったかと。来月以降の展開もよくわからないが、もう諫山さんが当初「20巻くらいで終わる」と言っていたその20巻が出たわけで、ラストも近いのだろうなと思う。21巻で終わるならあと2話しかないからちょっと厳しいと思うが、22巻までだとしたらあと6話、つまりあと半年ということになる。来年は「進撃の巨人」アニメのセカンドシーズンも始まるし、どのタイミングまで続くことになるかだなと思う。

そして今日はヤングジャンプの発売日。本来木曜日だが明日が「山の日」で休日になったため、10日水曜日の発売になった。「プリマックス」の昭和のアイドル、蒲池奈保子(これは松田聖子の本名と河合奈保子を足して二で割っている)のアイドル教育もすごいし「源君物語」の光海の行動も興味深いが、やはり何といっても「キングダム」。信が家に帰るのって一体いつぶりなんだ。それも、まだあのボロ家なんだろうか。それに、羌瘣はどこに帰るのか。河了貂と一緒にあのボロ家に帰るのか、その間また旅にでも出るのか。

「進撃の巨人」は、いろいろとまた古い巻を見直してみていたのだけど、ここにきて妙に重要な役回りをしている新兵・フリックは17巻ラストの70話で食堂で新規に募集した調査兵団員たちが「勝てるぞ!」と盛り上がっていた時のメンバーの中のひとりのように思える。名前が出て来たのは前回からだと思うが、モブから大出世だなと思う。

それから、ハンジが助かった経緯。副官のモブリットの機転がなければという描写がなかなか切ない。そしてエルヴィンかアルミンかの二択を迫られたリヴァイの心中に去来した風景。この選択をした理由がこの風景の中で語られているということなのだろう。リヴァイに感謝するエルヴィンの顔と、夢を語って上気したアルミンの顔。

エレンが必死でリヴァイに訴える長広舌と、ハンジの述懐。今回は見せ場が多かった。

また機会があればそれぞれについて、詳しく書こうと思う。

「One Piece(ワンピース)」、久々のルフィとナミの二人だけの展開にどきどきしました。




少年ジャンプ36・37合併号で尾田栄一郎さんの「OnePiece」第835話「魂の国」を読みました。

ドレスローザ編が終わり、ゾウのエピソードがはさまれた(ストーリー全体としては重要な内容でしたが)あと、例によって各班に別れて行動することになり、ルフィ・ナミ・チョッパー・ブルックはミンク族のペドロ・キャロットと一緒にビッグマムの配下であるミンク族のペコムズの案内でビッグマムの下に連れ去られたサンジを探しに行くことになりました。それが19号の822話でした。

長大なストーリーが副筋の展開とともに少しずつ進んで行く「OnePiece」ですので4月に始まったルフィ・ナミ班の航海がようやくビッグマムの拠点・ホールケーキアイランドについたのが31号の831話「不思議な森の冒険」でした。その中ですでにペコムズは連れ去れてしまっています。ここでペドロとブルックはビッグマムの城に忍び込んで「ロードポーネグリフ」を奪うためにルフィたちと別れ、サンジとその「婚約者」であるビッグマムの35女・プリンを探しに行くのはルフィ・ナミ・チョッパーとミンク族のキャロットの4人になりました。

しかし、ここでルフィたちは「不思議の国のアリス」のような世界に巻き込まれ、その混乱の中でルフィはほかの3人を見失ってしまいます。

混乱の中で出会ったのが首と手だけ出して土の中に埋まっている巨大な顔の男。敵でもないけど味方でもない、不思議な男なのですが、4人を混乱させていたビッグマムの8女・魔法使いっぽいミラミラの実(鏡)の能力者・ブリュレのためにナミやサンジやプリンに化けさせた動物を、ルフィはとにかく手当り次第につかまえて、男のところに集めていたのですね。そしたらその中に、本物のナミもいたわけです。そこでようやくルフィは仲間に再会します。

***

で、ここからはこの835話で明かされた重要な内容について書きますのでネタバレを読みたくない方はご注意願いたいのですが、

この大顔の男はただ本当に傍観していただけなのですね。「関わりたくないのよね、何にも」というこの男、実はビッグマムの元夫の一人だったのです。そして「ジュースを持って来てほしいから」という理由でルフィとナミにビッグマムの重要な秘密をいろいろと語ります。

まず、ビッグマムがソルソルの実の能力者で、人のソウル(魂)を自由にやり取りでき、人々の寿命を少しずつ回収して無生物や人間以外の動物に魂を授けているというのです。これでビッグマムの船の船首が歌うこととか、いろいろ理由がわかってきました。

そしてそれを話しているところをビッグマムの10男クラッカーに見つかり、しめられそうになったところ、娘に会わせてくれ、と言います。その娘とは、ギャング・ベッジの妻になったシフォンと、あのスリラーバークでルフィたち一行と出会った「求婚のローラ」のことだったわけです。

ローラがマムの娘であるということはかなり早くの段階からネットでは話題になっていましたが、ようやくこれで確定しましたね。ローラたちは七武海のひとりゲッコー・モリアによって影を奪われ、日の光に当たれない存在になっていたわけですが、ルフィによって助け出され、またナミと親友になってもいました。

そのとき、ナミはローラに「ローラのお母さんのビブルカード」をもらっていました。その時ローラの手下が「船長のお母さんは新世界のすごい海賊なんだぞ!」と言ってたわけです。それがビッグマムだということがここで判明したので、ということはナミはビッグマムのビブルカードを持っているということなんですね。このことがこれからの展開にどういう影響を与えるのかはわかりませんが、だいぶいろいろな伏線の糸がつながってきました。

ネタバレはここまでです。

***

というわけで、ホールケーキアイランドに上陸してからちょっと分けのわからな過ぎる不思議生物たちがたくさん出て来てちょっと困ったなと思っていたのですが、ようやく全部がつながってきました。今回は重要な内容が明かされた回でした。今週号は合併号なので次のジャンプの発売は1週飛んで22日。1週休みの前に盛り上がった内容にする、というセオリー通りにここは興味深い展開でto be continuedになったわけです。

さて、今週号ですが、読んでいて何か不思議に懐かしい気持ちがしたので、何でだろうなと思ったのですが、実はものすごく久しぶりに、ルフィとナミの二人だけの話の展開になっているのですね。

そう言う展開になったのは、ルフィとナミが出会ったバギーの一件のときから、ガイモンの島に上陸して「OnePiece世界の概要」について語ったとき、その後もメンバーたちが絡んでの展開はアーロンパークのくだりやドラム王国でナミが病気になったときなどもちろんいろいろありますが、二人きりの展開はそのあと空島でルフィがナミの運転するウィーバーに乗ってエネルの船・マクシムに巨大な豆の樹の蔓を駆け上がって行った、あの時以来ではないでしょうか。

あの場面、32巻の296話でウィーバーを運転するナミが「ジェットダイヤルの最速、まだ出したことないのよね。だって強すぎて私でも制御しきれないんだもん・・・!!」「んじゃそれで!!!」「OK!!!」と駆け上がって行くところです。私がOnePieceの中でもとても好きな場面の一つです。

OnePieceの女性キャラとして、最も知られていて最も古くから出ているのはナミですが、基本的にはヒロインではなく「仲間」なので、二人きりになる場面というのはほとんどなかったのですよね。ただやはり、「OnePieceの女性キャラと言えばナミ」ということはあると思いますし(私はロビン派ですが)、ナミとルフィの二人だけのシーンというのはやはりどことなくドキドキするものはあります。

みんなでいる場面でもルフィを膝枕している場面とかはだいたいロビンなんですが、ロビンはお姉さん的、ナミはしっかり者の世話女房的な位置づけのことが多いと思います。そう言う古女房的ななかなか二人だけにはならない位置づけだったキャラクターなので、二人だけになると何となくときめくのかもしれません、読む方が。

特にドレスローザ編ではサニー号に残ったナミ・サンジたちのグループは別行動になって、ドレスローザでドフラミンゴを倒す展開の間ずっと出ていませんでしたから、ゾウ編でものすごく久しぶりに出て来て、(読者は)みんな懐かしかったと思います。料理と言えばサンジでしたがルフィの酷い料理のあとナミが料理するようになりましたし、その辺にも萌えはあったのでしょうか。

33号でも、映画の宣伝ではありますが表紙にナミが描かれていて、最近ナミがフィーチャーされて来ているように思います。なんだかんだ言ってもOnePiece、ナミが物語を支えている、とても重要なキャラであるのだなあということを再確認している今日この頃なのでした。

『日出処の天子』:推古朝の華やかさ、目に見えない部分の広さ、作家の業の深さ



山岸凉子『日出処の天子』(白泉社文庫)全7巻読了。7巻189ページ以降は続編とも言うべき「馬屋古女王」。「日出処の天子」は、厩戸王子が遣隋使の派遣の際の国書を起草している場面で終わる。「馬屋古女王」はその厩戸王子、すなわち聖徳太子が薨去されたときから始まり、そのもがりの宮でのエピソード、上宮王家すなわち聖徳太子家の滅亡を暗示する場面で終わる。もともと山背大兄王の一族が滅亡することは「日出処の天子」の中でも厩戸王子の夢=ヴィジョン(幻視)の中で繰り返しでてくる。だからこの掌編はやや蛇足のように思われたのだが、「日出処の天子」がある意味華やかな推古朝の開幕を告げるある意味希望に満ちた場面で終わることが、何か作者にし残したことを感じさせたのかもしれないと思う。

しかし大変な作品があったものだ。古代史のこのあたりのストーリーは大体頭にあったとはいえ、それをどのように描き出すかについては全く想像を超えている。それは当然なのだが、描かれたものはもはや古代史ロマンというような言葉で片付けられるものではなく、「人間の業の深さ」や「仏の救いの意味」といった信じ難いくらい深いところまで射程が延びている。岡野容子「陰陽師」にしても、この作品の構造がかなりの部分換骨奪胎されて使われている。厩戸にたかる下級霊のありさまなど、「陰陽師」や近藤ようこの中世ものによく出てくる場面に輪廻転生している場面がたくさんある。

聖徳太子が実は超能力者だった、というような設定としてよく語られるけれども、厩戸王子のやっていることは彼自身が言うように、「誰にでもできること」なのだと思う。その能力を伸ばせばの話であることはもちろんだが、車の運転が出来ることくらいには誰にでもできることで本来あるのかもしれないと思う。だから彼の感じている理不尽さとか孤独の深さというものは、感じ取れるものがあった。水木しげるが7巻の解説でシャーマンの三つの種類ということを言っていて、一つめが「悪霊祓い」のように霊がその人の中に入ってきて動かす場合、二つめが「予言者」のように外側で霊が手伝っている場合、三つめが「霊がつかないけれども本人に何かを感じさせる」場合、があるのだという。水木は自分が妖怪が好きで妖怪のことを書くことについて、誰かが手伝っている、と感じているのだそうだ。私はもちろん前の二つは全然縁がないが、三つ目のものは分らないでもない。目に見えなくてもあるものはあるし、目に見えてもそう意味のないものもある。

大事なのは、目に見えない部分をいかに感じ、いかに大切にするのかということなのだと思う。それは霊というとわからない感じがするが、何かの本質とでも言うべきもので、それは知性のみによってとらえられるものではないように思う。たとえば「権力」にも目に見える部分と見えない部分があり、目に見える部分だけを物にしようとしても目に見えない部分に振り回される。大切なものは目に見えない、というのは「星の王子様」のメッセージだが、目に見えるものと目に見えないものがあるのではなく、すべてのものには目に見える部分と目に見えない部分とがあるということなのではないか。このマンガの厩戸王子は誰にも見えない部分が見える力を持っていて、おそらくはそのことと深い関係があって普通の女性を愛することができない。それは母に疎まれた結果であるという形で提示はされているが、そんな単純なものとももはや感じられない。

人間にもやはり、目に見える部分と目に見えない部分がある。それをあえて隠そうとしている人間は策士として信用できないということになるが、あえて隠そうとしなくてもぜんぜん見えない大きな広がりを持つ人間というのはいるし、逆に目に見える部分からほとんど広がりのない人間もいる。人を知っていくということは、そういう目に見えない部分を知っていくということが面白いのだと思うが、それが誰でもそうなのかは分らない。それを「人間探求」と言ってもいいと思うが、それは今まで考えていた人間探求ということのイメージとは少し違う。けれどもその方がどうも私は面白い。

しかし山岸凉子は、発想の自由な飛躍を積み重ねて舞台を作って行き、とことん築き上げてから6~7巻になってものすごく本質的な部分に切り込んでいく。崇峻天皇暗殺という古代史の重大事件の中で厩戸王子と蘇我毛人の「本質的な親和性」と「それゆえの違和」との象徴的な存在である「布都姫」の殺害とを重ね合わせていく手法はくらくらした。これは『ベルサイユの薔薇』だ。オスカルとアンドレの愛の成就とバスチーユ襲撃を重ね合わせた手法、もっと言えば二月革命の動乱と愛の行く末を重ねたりするフランス文学の手法を引いている。しかし史実とドラマのクライマックスをこのように重ねるのはやはり神をも恐れぬ所業だと感じてしまうなあ。でもそれをやってしまうからこそ、作家という存在は業が深いのだが。

厩戸王子にとって特別な存在である二人、母の間人女王と毛人の存在の意味が解きほぐされていくが、またそれでも余計なことは語られない。最後に狂った少女が厩戸王子の第三の妃になり、彼女だけが本当の彼の子どもたちを生むというのも最後までこのストーリーのテンションを下げず、それでいて大団円におさめるすごい。自らの一族の滅亡を知りながら、すべて無駄なことだと知りながら、厩戸王子は政治に熱中する。

「私には見える。遠い海の彼方で次々と船の沈む様が。あれは我々の隋へ向かう船であり、その逆に隋から戻ってくる船でもある。何千巻という経文が海底ヘ消えていく…そしてそれに書かれた文字の一つ一つが仏の姿になって海の中の水泡となって溶け去っていくのが見える。」

このイメージには圧倒される。厩戸王子は、気の狂った少女に向かって話しつづける。

「それでもわたしはやるだろう。隋へあてる書の出だしはこうだ。日出処の天子、書を日没処の天子へいたす…日出処というのはこの国のことだ。どうだいい表現だろう。今度は破ってはいかんぞ。そうだ、ちゃんとたたんで大事に持っていてくれ。」

この少女にだけは、何をいっても理解しているとは思われないこの少女にだけは厩戸王子はすべてを語る。しかしこれは、この少女の存在は何を言っても王子の意図も心も理解できはしない群臣や民衆たちの暗喩ではないかと思った。「理解されなくても、すばらしいことをしつづけなければ生きている気がしない。」そうした厩戸王子の、まさに業であって、唯一の理解者である毛人はそれとともに生きることを拒否した。その孤独の強さ。でもそういう道を歩き出そうとするその姿が、何か大きな希望のように思える。

推古朝はやはり日本古代史の最大の見せ場のひとつであり、それは推古女帝、蘇我馬子、聖徳太子という才気と胆力の溢れた個性の三頭政治の時代であって、理想主義の面において聖徳太子が明確なイニシアチブをとったことがその世界をきわめて華やかにしていることは確かだ。その古代史の構造を、こんな形で華やかに描き出した作品はほかにないだろう。

(この文章は2009年に書かれたものです) 

山岸凉子『日出処の天子』:いきなり最初のページから「このマンガは絶対面白い」と確信させられた。






しばらく、以前に書いたマンガの感想をこちらのブログにも載せていきたいと思います。まず、4回に分けて山岸凉子さんの『日出処の天子』の感想を書きます。



元のブログはこちら
の方になりますので、よろしければそちらもどうぞ。



***



いきなり最初のページから「このマンガは絶対面白い」と確信させられた。



第1巻の、12ページの刀自古郎女の登場。古代史にいきなりこのおきゃんな(死語)娘。もうこれは明らかに描きたいように描いている。今4巻の途中まで読んだが、この作品の持つパワーと影響、無自覚に世の中を変えてしまったフィクションの恐ろしい力のようなもののことを考えると全く戦慄する。




しかし、もう何より理屈はすべて置いておいてもこの作品は滅法面白い。歴史をある程度知っている人間がこの作品を読むと、史実の処理の巧みさに舌を巻く。今このときのはじめてこの作品を読める自分は幸せだと思う。やはりニュートラルな感覚が活性化しているときでないと、こういう問題作は十分楽しめない。今このときにこの作品を読める幸せをかみ締める。生きててよかったと思う。




荒俣弘が1巻の解説で少女漫画の「可能性としてのメディア」としての性格が存分に発揮された、80年代のマンガの黄金時代のトップランナーであることを述べているが、「可能性としてのメディア」というのはいい言葉だなと思う。実験的な作品をどんどん成功させていく、マンガ界全体が持っていたパワーが、この作品には溢れている。高野文子も諸星大二郎も、つまりメジャーもマイナーも、この時代の漫画はとにかくどれもこれも面白かった。




少年漫画は70年代に裸と幼児化により、少女漫画は90年代にセックスと変態のおかげで退廃化していった、という荒俣の分析には激しく同意する。退廃に抗っていまなお『テレプシコーラ』など孤高の作品を生み出し続ける山岸涼子の力は凄い。



(もとになる文章は2009年に書いたものです。)








コミックゼロサム9月号でおがきちかさんの「Landreaall(ランドリオール)」第159話「ずっとあなたは」を読みました。




コミックゼロサム9月号でおがきちかさんの「Landreaall(ランドリオール)」第159話「ずっとあなたは」を読みました。


7月25日に単行本28巻が発売された「ランドリオール」。その感想は前のエントリで書きました。8月号に掲載された158話からが28巻の続きになりますが、158話は短く、またクレッサールの部族の成立と黒虹の話なので、アトルニアの国の中の話はこの159話で続きが読める、ということになります。


そして、とうとう、クレッサール編もいよいよラスト、のようです。(最終ページの柱に書かれていました。)リゲインとファレルがアブセント・プリンセス=リルアーナ王女の痕跡を探してクレッサールに出発したのが21巻、2013年の114話でしたから、合計45話、あしかけ4年の大長編になりました。この長い長いお話は、もうすぐ終わりそうだと思ってからがさらに続いて、本当に時間をかけてゆっくりと収拾された感じがします。


***


さて、本編。扉絵は夏休みのDXとイオン。DXは久々にピン留め頭、イオンはスイカを頭に乗せています。通常運転に戻った感じです。


話が始まると王城の場面。懐かしの!ティティがベネディクト卿に呼ばれて尋問?されています。その尋問をかわしたティティはフィルとロビンを王の籠っている塔から連れ出し、アカデミーに無事帰ってきました。これは、王城でフィルとロビンに会って彼らの決意を知ったリドが、ティティに手を回してくれたのですね。まあこのへん、まだいろいろもやもやある、と言うかこのへんのもやもやが解決するあたりから次のシリーズが始まるのかな、という感じです。さまざまな問題をばさっとショートカットして出来ないはずだった祖父と孫の対面を成し遂げたフィルとロビン。それに伴うさまざまな困難を収拾するティティもまたさすがのキャラでした。

場面は変わり、クレッサール、クエンティンの城。メルメルさんがユージェニに語りかけます。隣にはメイアンディア。ディアは天恵を使ってメルメルさんを正気にして、ユージェニに語ってもらっているのですね。ディアは王城でもファラオン卿にその天恵を使っていましたから、同じことをしているわけです。


メルメルさんがユージェニに伝えた母・リルアーナ王女のメッセージは、恋人(つまりユージェニの父)の従騎士が死に、ザンドリオが滅びたことを聞いたときに王女が発した「負けたくない」という言葉だった。リルアーナもまた、ユージェニと同じように、愛する人を護ろうとした、そのことを伝えたわけです。母の真意を知り、乳母であったメルメルさんの膝で泣くユージェニ。彼女ほどユージェニの心を開ける人はなかったわけですね。いい場面でした。


そして、ひどい打撃を受けているクエンティン。葛焚の呪術師によれば、「体に呪いとさまよい女の魂を詰め込み過ぎ、苦しみや哀しみ、死の痛みに苛まれ続けることになる」ということになっていたのでした。それから解放されるには、砂漠を渡って海に行かなければならない。あの、エカリープで火竜を解放したときにDXが見た海でしょうか。するとそこには…マリオンがいるのかもしれませんね。


しかし、クエンティンにそれを許していいのか、アトルニアに連れ帰って裁かれるべきなのではないのか。そう問いかけるバハルですが、DXは「父さんがそうするって決めたなら」と答えます。リゲインは、裁くのではなく追放する、罰するのではなく人間性を取り戻させる、方を選択したのだと思います。いくらリゲインが「革命の英雄」だからと言ってアトルニア国家に大きな災いをもたらしたクエンティンをそのように扱うことが許されるのかどうか分かりませんが、リゲインはそれを選んだ。そして、DXもまた、それを父がそれを選択するのなら、と支持するわけです。リゲインはここではアトルニア国家の代表として、その措置を行ったわけですね。


「俺の大事な人たちはみんな強くて、こんなことで壊れたりしないから多分いつかは許してしまう」とDXはいう。バハルとチレクは苦笑いしますが、DXは「俺の剣が自由なのはみんなのおかげだ」と思います。


みんな、とは「俺の大事な人たち」のことでしょう。DXはウルファネアに行ったときの母ファレルのセリフ、「あんたが自分の命を守らないんじゃないかって不信が六甲やあんたを不自由にするの」を思い出します。これは、ルーディー絡みのホーリーネームの件であの葛焚の呪い師の呪いを受け、危うく死にかけたことを言ってるのですね。ファレルの心配する場面は出てきませんでしたが、相当心配したんでしょう。大丈夫だと確信できる=信用できる、心配をかける=信用を失う、ということでしょう。そしてみんなが強いから、自分もまた多くの人の助けを受け、死なずに元気で振る舞っている。大丈夫で、自由なのは、みんなのおかげだ、ということなのだなと思います。


リゲイン、ファレル、DX、イオンは旅立つクエンティンとユージェニを見送る。六甲もいます。リゲインは、自分が生きていることで「革命は続く」と言います。それはアトルニアがよりよい国になって行くと言うことでしょう。DXたちを見ているとそうわかると。また、リルアーナ王女のことを思い、「アンナの日々は絶望だけではなかった」ことを喜びます。しかし、DXは、父リゲインがリルアーナ王女において行かれたことで父が感じた哀しみを思っている。しかしそこにメイアンディアが来て、メルメルさんの話を聞いてくれ、と言います。


メルメルさんは、ユージェニの名前の本当の意味を語ります。ユージェニはアトルニア風に変えた名前で、本当はクレッサールの言葉で「ユィル・クア・リジェイン=真の友リゲイン」という意味なのだと。


それを知ったリゲインは初めて大粒の涙をこぼします。リルアーナは、やはりリゲインのことを忘れてはいなかった。忘れ形見にその名を付けることで、失われてほしくないメッセージを、リゲインに残したのですね。


ファレルはその夜、メイアンディアを見舞い、「リゲインが騎士として生き続けられるのはあなたのおかげだ」と礼を言います。ディアは、「リゲイン卿は裏切られるのではなく、報われるべきでした」と答えます。それは本当にそうだと思いますが、ファレルは「死ぬほどのことは何度もあっても、それが報われるなんてことは滅多にない」、だから「本当にありがとう」と答えるのでした。そして、ディアもまた改めて、将軍のために良かったと思い、そして夫を深く思い、夫が忠誠をささげた王女とその忠誠が報われたことを知らしめたメイアンディアに感謝するファレルの思いに、感動したのですね。


クレッサール編は、そう、リゲインとリルアーナの友情の物語として、幕をおろしました。読み終わったとき、この後味の良さはなんだろうと思っていたのですが、そこに向けてすべてが回収されたということが大きかったのだなと改めて思いました。

バハルの操る砂の舟に乗り、アトルニアに帰るDXたち。ライナスとルーディーはまだ残るようです。玉階オルタンスの元にまた戻り、またアカデミーで会う日まで、ということになるのでしょうか。


ボルカたちも見送ります。DXと同行するのはリゲイン、ファレル、六甲、イオン、つまりDXの家族と、そしてディア。あのレーカーベアの子どももいます。メルメルさんは…どうしたんでしょうね。この砂の船の疾走感のある描かれ方は、一瀉千里に故郷を目指すDXたちの心をよくあらわしているなと思いました。


そして夜、星空には彗星=「アトレの火矢」が。これはアトルニアの未来を祝福する、そんな象徴のように思いました。


今月は、とにかく、大団円が本当にすっきりと大団円におさまった、そしてその美しい余韻を残した、そういう美しい回だったなと思います。


季節は秋から冬のはずですが、次回はどんな展開になるのでしょうか。マーニーやオルタンスをはじめ、そのあたりの伏線の回収から入るのか、いきなりフォーメリー帰還と相成るのか。まだまだこれからもわくわくする展開があるなと思いますし、来月を楽しみに待ちたいと思うのでした。

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